雨竜町の名所旧跡 |
白竜の滝 <2013.10.7> 国土地理院地図 周辺地図 |
雨竜沼湿原の入口にある、ゲートパークから入り、円山を見ながら雨竜沼湿原への道を辿る。第一渓流吊橋を渡り進むと、白竜の滝が現れる。上から、中段から、川原からと見ることが出来る。 |
円山 | 標識 | 上から | 中段から |
川原から |
滝もきれいだが、岸壁の紅葉もきれいだ。 |
上から | 川原から |
国領小中学校跡の碑 <2013.10.7> 国土地理院地図 周辺地図 |
雨竜沼湿原に行こうと、暑寒別雨竜停車場線(道道432号線)を走り、暑寒ダムを越え、群馬橋を渡ったら、右側に石碑が目に入る。車を停めて、見たら国領小中学校跡と刻まれていた。 |
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雨竜町の年表によれば、明治44(1911)年に群馬県国領地区で水害罹災した30戸が入植し、明治45(1912)年に国領特別教授場開設(後の国領小学校)されたようだ。 この、奥地に人が生活していたことに驚き、先人の開拓魂の凄さに頭が下がる。 ペンケタン渓谷の南に位置する群馬岳も、出身地より名付けられたようだ。 |
暑寒(尾白利加)ダム <2013.10.7> 国土地理院地図 周辺地図 |
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尾白利加川(おしらりかがわ)を堰き止めて造られた農業用ダムで、4月下旬に通水して、9月上旬に断水するようだ。 暑寒湖を一望する高台には、暑寒ダムの碑と水上神社が奉られている。 地図では尾白利加ダムと表示されているが、石碑には暑寒ダムと刻まれいている。碑陰には、何が刻まれているのか分からない。 |
農業用水専用のダムなので、水が不要な時には水を抜くようだ。 |
水を抜いた暑寒湖 |
稔の礎の碑 <2013.10.7> 国土地理院地図 周辺地図 |
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門が建っているので、暑寒ダムの事務所かと思ったら、トイレの使える暑寒ダム公園だった。 その中に、稔の礎の碑がある。文字は、劣化が進んでいて見難い。チンプンカンプンで意味が分からず、唖然としていたら、この碑文は珍しく横書きだった。 |
碑文 |
雨竜地区の開拓は明治21年時の公爵三条実美を盟 主とする華族組合農場に創る 明治32年蜂須賀茂韶 は尾白利加川水系において1565町歩の水利権許可 を得本道最初の大地積造田に着手した 次いで戸田康 泰また蜂須賀農場の末流水を利用して造田に着手昭和 2年には430町歩に及ぶ水田を開くにいたったがこれ ら耕作面積の増大に伴い灌漑水に不足を生じ為めに水 争い頻発し加えて奥地の開拓により主水源流の枯渇を 招くに至った ここにおいて関係者間に開田補水並に 治水を目的とするダム建設の議おこり挙町当局に対し 事業の実施を要請懸命の陳情を続けた その間ダム用 地の選定等につき数次にわたり審議が重ねられたが最 終本地区の特殊性と経済的諸条件を考慮 昭和28年 現在地に国営による傾斜心壁土石型アースダム着工に 決定爾来13年の歳月を経て見事完成を見るに至った 正に町誌を?す大事業である 思ふに本事業の実現 を悲願してより終に40年これが完成に努めた関係者 はもとより酷暑厳寒等あらゆる困難を克服して献身事 業に精励された技術関係者各位に衷心感謝の意を表する とともに今は地下に眠る先覚者の霊を慰めここに「稔 の礎」の碑を建立し永くその偉業を讃え相供に営農に精 進天●地慈豊かに限りなき豊穣を祈念するものである 昭和4●年4月25日 雨竜土地改良区理事長 廣長源義 |
碑陰 |
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散歩路記録 2013.10.7 |