住吉大社

 =ポイント=
 見落とさないで回るのは大変なので、あらかじめ予習をお勧め。住吉大社
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 <2026(R8)年3月20日 西鳥居から一周1:39>
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 南海電鉄の住吉大社駅に降り立と、ガード下には灯籠が並び神社の雰囲気を醸し出していた。ガード下は町名表示板があり「住吉区/長峡町NAGAO-CHO/住吉二丁目⇔住之江区」と表示されていた。ながお町とは読めないのが、駅から西に行けば住吉公園、東に行けば住吉大社だった。大社に向かうと、もう鳥居の奥に反橋が見えていた。直ぐに大社かと思ったら、紀州街道があり、派手なラッピングをした電車が走っていた。この会社は阪堺電気軌道(阪堺電軌)と言い、その阪堺線のようだ。
住吉大社駅 ガード下には灯籠 反橋が 路面電車
 大社の入口には向かって右に社碑が建ち、左に立浪部屋の幟がなびいていた。その傍に大きな献灯が鎮座していた。当日は海上交通安全祈願祭が行われていた。西大鳥居の付近には色々な物があった。鳥居に向かって左手には、遣唐使進発の地碑があり碑陰には解説書きも嵌め込まれていた。
大社の入口 西大鳥居前 遣唐使進発の地碑
 社碑には大正八年八月建立と刻まれている。その裏手には源氏物語の図屏風もあり、その台座には解説書きが嵌め込まれていた。数軒の出店の前を通り、いよいよ反橋を渡る。太鼓橋に木段が付いているので、高さや幅が微妙に違うようで気が抜けない。
社碑 源氏物語の図屏風 反橋
 反橋は東西に長い池に架かっていた。この池の名前は無いようだ。橋の中央で、東西の池の景色を眺める。登ってきた西大鳥居方向を振り返り、角鳥居へと下って行く。この橋には木の階段と言うよりは滑り止めのような板が張られていて、板の高さも幅もまちまちなので慎重に下って行く。
北側 南側 西大鳥居方向 角鳥居方向
 橋を下り切ると右手にしめ縄を回した御神木があるが、解説板は無い。角鳥居の左右には石柱が立っていた。向かって左は「天皇陛下/皇后陛下/御参拝記念標」で碑陰を見ると、昭和四十五年七月十五日と刻まれていた。
御神木 角鳥居と幸壽門 記念標
 右手には「国宝本殿四棟」と刻まれた石柱が立っていた。碑陰には「国宝指定昭和二十八年十一月十四日/昭和五十三年二月十一日建国記念日建立」と刻まれていた。幸壽門を潜って中に入ると、広場になっていた。広場にはしめ縄が回された保存樹もある。第三本宮、第四本宮、第二本宮へと参拝して回る。
国宝の碑 第三本宮 第四本宮 第二本宮へ
 最後に、本殿(第一殿)にたどり着く。本殿で参拝を済ませ、右手に見える瑞籬門へと向かう。朱に塗られた門には「パワースポット10m五大力石守」の張り紙があった。矢印に導かれ中へと足を運ぶ。
第二本宮 本殿 第一殿 南瑞籬門 五大力石守へ
 南瑞籬門を潜ると、すぐ左手に古燈籠がある。右手には鳥居を伴った若宮八幡宮があり、その奥にパワースポットの道標と南中門がある。南中門には「おいとしぼし社/霊石おもかる石→120m」とパワースポットの張り紙がある。おいとしぼし社は大歳神社とも言うのだろうか。
古燈籠 若宮八幡宮 南中門 おもかる石
 南中門を潜ると水面に姿を預けた斎館が佇んでいた。流石に、神事を前に心身を整える清浄な佇まいに見える。
           ←大
斎館
 池にクスノキが幹を乗り出し、その奥にも何かの建物が見える。石舞台に石柱「重要文化財 石舞台/西楽所/南門/東楽所/四棟」が立っていた。碑陰には「創立八十周年記念/奉納 大阪市信用金庫 理事長 新堂友衛/平成十九年十一月十一日建立」と刻まれている。碑側には「昭和49年5月1日指定」と「●宮司髙井道弘謹書」と刻まれている。石柱からは両側の池に挟まれた石舞台や南門が見える。南門には行かず、おたき道を辿って東小門の法かに行くと、生田南水句碑がある。ユニークな筆使いなので、何と書かれているのかわからないが、「長閑さ也/住吉乃姓松/忘れず 南水」と刻まれているようだ。再び、石舞台に戻って南門の外に出て南門を振り返る。
池にクスノキが 石舞台 生田南水句碑 南門
 生田南水句碑の碑陰は、掠れた所があり読み取りが難しいが、Copilot(赤字)の助けを借り何とか推察してみた。
先考夜雨荘生田南水、万延元年四月四日浪速東成郡上之宮な生るい諱に宣人、百済寺三丁目太郎
かの日本記の「引南水似入西海」其の意となす萩々萩垣内、鹿鳴舎と万葉集
の百濟野の萩の古枝まる、又上之宮の樗の大木によせて、あふちの家ともいへり、曽祖父集一人は
國学にくはしく狂歌師として知られ祖父宣當は京都吉田家の卜部として亀卜の事り大政官の神
祇宮に出仕も維新の際、温明殿の御番をつとむ 父幼より家学に親しみ國学びを石崎長世、敷田年
治両大人よ漢史を伊藤夯夫先生は和歌の道を渡忠秋、平尾喬夫両大人又黄花庵翁の門を敲き
徘諧を学ぶ、考古癖の父は日常吉元陶芹の交りあり拙劣筆画も亦おのが風をたのしむ 明治年間得
田俊服部自事と善よ俳誌いろはを刊行し浪速俳壇一石を投ずる太丸の松苗集に做ひろり橋
住吉の松苗茶屋を設け広く松苗勧追を計る、者松苗と共に一筆を以すむ集めて続松苗集と題し
当社御文庫進の松苗二千を数え明治四十二年四月十七日古式を以て神域〇植え〇松苗祭を
再興す、現在回の祭事を行はる、敬神と愛郷と終始せる父はまる寡欲風雅の一市井人とし
て日夜都庶の文事労を惜しまず自ら暁鐘成の後となせり、南地の芦辺踊、新町の浪速踊の歌詞
など長短多く作の六地方民謡数を知らず。霜のあした花のゆふべ斗酒辞せず、酔ふて
藝を談じつつ浪速の史を語る笑の童顔ありりと思い出す夜あり悠々たる大阪辯は尚耳に新たなり
妻は安茶郡山住人本多某の三女、早苗が外と私の三を挙ぐ、昭和九年一月十二日父逝く享年
七十松苗集と共に過ぎ行く住吉の風のまにまにありし日をしのひつ
      昭和四十一年一月十二日          花 朝 女 織
    碑面は四天王寺ちりなら集の一碑を以て師 菅楯彦先生の御筆を頂く
 南門の狛犬の前にパワースポットおもかる石の道標があり、それに従って行く。道標「鴨保乃池/大藪の松/これより」もある。碑裏にh「大正十三年四月吉祥日」と刻まれている。鴨保乃池も大藪の松も、今はないようだが大正時代まではあったようだ。目の前の住吉武道館を眺めながら辿って行く。
狛犬 案内板 現存しない道標 住吉武道館
 一般道に出る前に石造りの東大鳥居見えるが、その手前に卯の花苑がある。道端には卯の花苑なのでウサギの像が鎮座している。傍には卯の花園の解説板が立っている。卯の花は植物としてはウツギだが、季節感や風情を表す時に使われるようだ。
東大鳥居 卯の花苑 ウサギの 卯の花園の解説
 卯の花苑の中には光台院親王が詠まれた歌碑が鎮座している。鳥居の傍には車返しの桜の碑「後醍醐天皇/車返しの櫻」とその解説板がある。それらを見て、石大鳥居を潜る。
卯の花苑 車返しの桜碑 車返しの桜 石大鳥居
 鳥居を出て直ぐの所にある石大鳥居再建の記碑がある。この鳥居には額束だけで神額がないので、石碑が無ければ名前がわからないところだった。石碑を見て浅澤社(住吉大社境外末社)を目指し一般道を辿って行くと、角に神社が見えて来る。常夜燈の回りは水辺になっていて、カキツバタが咲いていた。
石大鳥居再建の記碑 浅澤社 常夜燈 カキツバタ
 浅澤社の鳥居を潜り中に入ると、カキツバタの解説板もある。良く見ると、浅澤社は水に囲まれている。池の中に社碑「住吉神社境外末社浅澤神社」を眺めて、大歳神社(住吉大社境外末社)へと向かう。すぐ傍の橋を渡って行くと大歳神社があった。
浅澤社 カキツバタの解説 社碑 橋を渡って
 大歳神社(住吉大社境外末社)の鳥居を潜ると、おもかる石があり、その奥においとしぼし社があった。おもかる石の占い方は「二拝二拍手一拝、石を持ち上げ重さを確認、石に手を添えて願掛け、もう一度石を持ち上げる。2回目に持ち上げた方が軽く感じればその願いは叶う」と言われている。力持ちばっかりだったので随分軽かったか願い事は秘密。元来た道を引き返して、浅澤社の角に来ると案内板「すみよしのゆわれとまちなみ、名所旧跡案内図」が立っていた。帰りは石大鳥居の来たに位置する東門から楠珺社に入ると、千年楠が祀られていた。神木の千年楠には看板「保存樹/くすのき/高さ18,5m/周囲9.8m」が添えられていた。
大歳神社 おもかる石 すみよしの由緒 千年楠
 住吉大社末社楠珺社本殿でも御朱印を頂く。土蔵造りの二階建で漆喰の白い壁が印象的な御文庫と呼ばれる建物があり、それに解説碑が添えられていた。本殿近くに戻ると、儀式殿で結婚式が行われていた。五所午前では、玉垣内に敷かれた玉砂利の中から、五、大、力の文字が記された玉石を探しお守り袋を買って、その中に入れる。願いが叶った人達は、感謝と共にその石を返しに来るようだ。
楠珺社 御文庫 解説碑 儀式殿
 祈祷殿の前から池の畔を見ると、大きな岩の誕生石が石の柵に囲まれていた。祈祷殿の前から社務所に向かい、池を回り込み北側から反橋の戻りと、「日本遺産」と「境内案内図」の看板がある。
誕生石 社務所と祈祷殿 日本遺産 境内案内図
 石の柵に囲まれた住吉三葉松と解説碑を眺めて、西大鳥居を潜り住吉大社を後にする。紀州街道を渡り、南海電鉄のガード下を潜ると、住吉公園がある。園内の汐かけ横丁に立ち寄って、昼食とする。
住吉三葉松
 

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 2026(R8)年3月20日(金)西鳥居から一周1:39 10:25→12:04