札樽国道開通記念碑(40m) |
ポイント 展望が電線や立木で遮られているのは残念だが、小樽の道路の歴史がわかる。 |
アクセス 小樽から朝里市街を抜け、柾里の交差点を過ぎた左側の駐車帯に入る。 小樽市朝里4丁目 周辺地図 |
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記念碑は駐車帯の真ん中に鎮座しているが、今の世では、誰も立ち止って見る余裕はないように見える。ある人は食事に、ある人は休憩で目を瞑っている。 私も、何度もここに足を運んでいるが、改めて「札樽国道開通記念碑」の下に刻まれている趣意を読んでみた。 それは、紛れもなく先人の努力の痕だった。 |
札樽国道開通記念碑 趣意 ”姿うるわし手稲の山の 影せまり来る張碓 峠 君の手の熱き言葉に ああ赤い小樽の灯 が見える”と唄われたこの地は石倉山(五〇 一メートル)を頂きに渓谷と滝を形成し断崖 絶壁のまま日本海に没している ここは 小樽・札幌間の最大の難所であり 安政四年(一八五七)小樽場所請負人恵比 須屋半兵衛が自費をもって丘上に新道を開削 した 明治五年から六年にかけ開拓使は札幌本庁 と小樽を結ぶため 銭函より海岸沿いに小樽 市街に達する道路改修に着手 明治十二年手 宮・札幌間を結ぶ鉄道敷設を急ぐためにこの 道路が利用され これが東京・大阪に次ぐ日 本で三番目の鉄道開通(十三年)となる その後 明治三十八年になって小樽市潮見 台から山背を迂回し毛無山の鞍部を越えて銭 函に達する通称「軍事道路」が開削された |
大正九年に この道路は国道に編入された が 急勾配かつ連続する急カーブのため 普 通馬車の通行にも不自由な状態で利用者も少 なく廃道に近い状態であった そのため政府は 昭和六年から九年にかけ て小樽・銭函間の改修工事を進め 昭和八年 には小樽・札幌間が全線開通する 昭和二十六年に北海道開発局が設置され 昭和三十年には砂利道から舗装道路となる この碑は昭和九年 小樽・札幌間の工事完 成を記念し張碓トンネル小樽側坑口に建立さ れたが その後交通量の増大に対応するため 平成十年から着手した四車線拡幅事業を機に 先人の苦労をしのび交通安全を祈念して この地に移設する 平成十二年九月吉日 北海道開発局小樽開発建設部 |
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二人の散歩路記録 2008年3月21日 |