40 沢屋の嘆き


定山渓ダムが出来る前の話しですが、かって神威岳に有名な沢登り入門コースの木挽沢があった。頂上直下の木に草鞋が吊されていたので、今も距離は短くなったものの沢登りを楽しんでいるものと勝手に思っていました。
しかし、                

秋になると何故か思い出す
あの清流と紅葉が奏でる音を
清流が木々とともに生きていた木挽沢を
若かった自分がそこにある
汗で輝く青春の中に

夏になると何故か思い出す
あの清流と緑葉が奏でる音を
清流が木々とともに生きていた木挽沢を
水と戯れている自分がそこにある
水で濡れた笑顔を上げながら

春になると何故か思い出す
あの清流と白雪が奏でる音を
清流が木々とともに生きていた木挽沢を
硬雪を踏みしめている自分がそこにある
マカヨを見つめながら
   
冬になると何故か夢にみる
あの清流の寝顔が奏でる音を
清流が木々とともに生きていた木挽沢を
友の声が 姿が こだまする
過ぎし日の幻影を追う
   
しかし あの木挽沢はもうない
清流と木の葉が奏でる音もない
花も 友の声も姿も 自分も
忘却の彼方へ吸い込まれてしまったのか
過ぎし日を思詫(おもわ)ぶる

けれど 今もある 現実にある
傷つきながら生きている木挽沢がある
泥で埋まった沢になったから
醜いだけの沢になったから
それを 私は見捨ててしまったか


2000年10月12日  自宅にて


北海道山メール仲間の安立氏によると、とんでもないことになってしまったようだ。沢は泥に埋まり、鉄の橋までかかり、沢登りが楽しめなくなっていたようだ。
その林道を登って、神威岳にも行って来た人もでた。沢屋としては複雑な心境だろう。
しかし、安立氏に木挽沢を見捨てないで欲しいと思う。自分から泥に埋まったわけでないし、醜くなったわけでもないのだから。



 安立氏は最近次のように詠まれています。

 深山ゆき 鹿も踏みけむ もみじ葉の 草鞋ぞ恋し 木挽きの流れ

 この歌に、山下さんは次の返歌を詠まれました。

 忍ぶにも なほあまりある 木挽き沢 山の中にぞ 沢屋泣くなる

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注) 木挽沢は「こびきざわ」と読み、木を鋸で切るの意です。ワー間違っていました。「きびき」と書いていましたね!恥ずかしい!沢屋の嘆きが聞こえてきそう!
 ところで、沢は濁る、濁らない?昔は濁ってない?今は濁ってる?