小樽旧市街
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 アクセス
 小樽駅に降り立ち、北のウォール街と言われた日銀通りへと足を進め、堺町通り、水天宮、色内通り、臨港線沿いの小樽運河を散策する。
 国土地理院地図   周辺地図
案内図
小樽駅
 むかい鐘 <2011.8.31>
 小樽駅に降り立つと、おたるの看板と鐘が見えた。近づいて見たら鐘の由来が書いていた。1965年頃まで鳴らしていたというから、私も聞いていることになると記憶を解きほぐそうとするが、忙しいブザーの音だけで鐘の音は思い出せない。ブザーの音を思い出すと、現代の方がゆっくりと時が流れているような錯覚に陥る。
プラットフォーム
 プラットフォーム <2011.8.31><2013.3.20>
ランプ
 プラットフォームにはランプを模したライトがぶら下っていて旅情を誘われる。旭展望台のある山が望まれるが、展望台の建物は見えない。
 小樽から折り返しの列車が多く、列車のプレートを交換している駅員の姿が見られ、実質の終着駅の雰囲気もある。
 駅舎 <2011.4.6><2013.3.20>
ランプの窓 天上の方位盤
 散策の帰りに、再び、小樽駅に辿り着くと、夕暮れの駅舎が何とも言えない旅愁を感じた。駅舎に入るとホールの窓にはランプを模したライトが綺麗に灯っていた。天上には方位盤があり、改めて北の方向を確認する。 
 玄関前 <2013.10.10 2013.7.27>
 玄関前にはプラットフォームにあったのと同じ「むかい鐘」がある。石川啄木と小樽の解説板も設置されている。小樽駅の壁には、姉妹都市ナホトカ(ロシア)の壁画が描かれている。
玄関前 解説板 石川啄木と小樽 壁画
 駅前広場 <2011.8.31 4.6>
 駅前から上野駅を模して造られたという小樽駅を振り返る。4月に訪れた時には駅舎のバックにまだ白い天狗山が見えていた。
駅前広場 駅前広場 駅前から船が
 駅前から下って行く中央通りの奥に海が見え船が浮いていた。
 石川啄木歌碑 <2011.4.6>
歌碑
 小樽駅を出て、左側の小高い所に石川啄木の歌碑がある。階段を登って振り返ると、「子を負いて/雪の吹き入る停車場に/われ見送りし妻の眉かな」と彫られた碑文が読める。
 歌碑は平成17年10月23日建立とあり、比較的新しい。
 三角市場 <2011.4.6> 
駅側 内部 内部
 歌碑の前は三角市場の入口でもある。店内に入ると、観光シーズンではないせいか閑散としていた。 
 船見坂 <2011.8.31 4.6> 
 三角市場の中を下って行き、国道沿いに出て山側に辿ると、船見坂が見える。勾配15°の急な坂を登って行くと、洒落た街灯のある袴線橋を渡る。坂はまだまだ続き、途中で、船が見えるかと振り返るが海だけだった。更に、登って行くと道がカーブしてしまい、実質、最高位置になる。そこからは、埠頭と船の一部が覗けた。
船見坂 袴線橋 船見坂の途中 船見坂最高位置
 岸誠詩碑 <2011.8.31> 
 日光院の裏庭に枕木で造られた基礎の上に詩碑が鎮座している。碑文には「小樽 わが町 岸 誠/遠くのぞめば風の音がきこえる/風のむこうに波立つ海がある/どこまで行っても決して平坦でない道/めぐりあうのは若き日の魂のかけら/こだまする遠い海鳴り」と刻まれている。碑裏には平成9年5月建立との文字がある。
 詩は冬の小樽の様子のようだが、今日は、蒸し暑く曇り空の下に海が広がっていた。小樽を見回すと、若き日の魂の欠片に廻り合えたような気がして来た。
日光院 詩碑 碑文 お寺から
 小樽都通り商店街 <2011.4.6> 
 一旦、駅前に出て、中央通りを下って行くと、小樽都通りのアーケード街が見えて来る。道を渡り、アーケード街へと入って行く。アーケード街は浅草通りで終わり、そこに、案内板があり改めて見る。浅草通りを渡り、アーケード街が振り返る。
駅前通から アーケード街 案内板 浅草通から
 サンモール番街 <2011.4.6> 
サンモール
 サンモール番街商店街を覗いて見る。昔は、アーケードの無い車が通っていた道路だったような気がする。
手宮線跡 
 手宮駅舎  周辺地図
手宮駅舎
2012.6.26
操車場
2014.11.27
 総合博物館の手宮口に旧手宮駅を模した駅舎が建っている。その近くに旧手宮鉄道施設転車台がある。
 
 記念モニュメント  周辺地図
 駅舎の周辺にモニュメント。
2014.11.27 2014.11.27
北海道鉄道の発祥の地 小樽
先人の夢 希望 願いを乗せ
ここゼロマイルの地 手宮より
切り拓かれていった北海道
今 新たなる起点
未来への翔きとして
記念モニュメントを贈る
1988.9.3
第37回北海道地区会員大会記念事業
主催 (社)日本青年会議所北海道地区協議会
主管 (社)小樽青年会議所
 
 北海道鐵道発祥驛碑  周辺地図
石碑
2014.11.27
碑陰
2014.11.27
 北海道鉄道発祥驛碑の碑陰には「昭和二十四年十一月十八日/手宮驛旅客取扱復活期成同盟會/第三十六代手宮驛長●畠●●」と刻まれている。
北海道の鐵道發祥地は手宮驛である その由来は明治六年に北海道開拓長官黒田清隆が幌内
煤田採掘の計畫の下に技師を派遣して調査研究させた結果に基づきまづ幌内幌向太間は鐵道
を建設し幌向太からは石狩川を船で川口に下り小樽に運送する計畫を樹てた事に始まる 明
治十二年三月に線路の測量が開始されたが偶々冬季河水の凍結石炭積替の手数等のため不利
であろうとの意見が出て鐵路により直接小樽港手宮に運送する事が最も有利であると認められ
幌内手宮間五十六哩の一部手宮札幌間の鉄道が敷設される事となった 明治十三年十一月十
八日遂に手宮輕川間が開通し列車は辨慶号機関車をもって運轉された ついで同月二十四日
に札幌まで開通し更に明治十五年末に札幌幌内間が竣工しここに手宮幌内間が全通した 以
後鐵道は逐次延長されて今日の發展を見たのである その第一歩は正しく手宮驛からであつ
て北海道の鐵道發祥地と稱する所以である しかるにこの由緒深い手宮驛の旅客取扱が太平
洋戰争酣の昭和十八年十月に國策によつて廢止された 以来市民は尠からず不便を感じてる
たが二十年八月終戰を迎えると共にこれが復活の聲は油然く起こった ここにおいて有志は手
宮驛旅客取扱復活期成同盟會を結成し會長に西富士松を推して運輸當局に復活請願を續け幾
多の迂余曲折を經て二十三年十一月十日に列車は漸く南小樽驛まで復活した しかし乗換の
ための不便が頗る多く重ねて直通列車運転を要路に懇請した結果二十四年九月から岩見澤驛
まで二往復の直通列車の運轉を見るに至ったのである これを機會に手宮驛の由来に併せて
長年月に亘り献身的努力を畫した西會長の偉大な效績を勒し碑を建立して記念とする
                          平 塚 常 次 郎  書
 色内鉄橋 <2021.9.15.> 周辺地図
 
鉄橋 色内川
 
南側 南側 北側
 色内川に架かる小さな鉄橋と周辺の風景。
 寿司屋通り側 <2011.4.6>
手宮方向 由緒書 札幌方向
 線路跡には「H. K. Porter, Inc. 」のプレートを模した由緒書がある。札幌川には高架だった跡も見られる。
 日銀通り側 <2011.4.6>
手宮方向(大×) 手宮方向 札幌方向
 浅草通りから日銀通りの堺に手宮線跡がある。
 中央通り側 <2002.10.28 2011.8.31>
札幌方向 手宮方向 札幌方向
 「TEMITYA LINE」と彫られた車輪型のエンブレムの様な標識がある。 
 船見坂延長道路側 <2011.8.31>
手宮方向 札幌方向
 船見坂から中央市場を左に見ながら、市場の中を通るか考えているうちに、手宮線の廃線跡を通過する。
旧街並み
 北海道タオル <2011.4.6>
北海道タオル
 瓦屋根と土蔵を伴った家があり、「北海道タオル株式会社」の看板が架かっていた。
 旧日銀小樽支店 <2011.4.6>
旧日銀
 北のウォール街といわれた旧市街に入ると、通りの名前にもなっている「旧日銀小樽支店」が堂々とした姿を現す。
 出抜(でぬき)小路 <2011.4.6>
ユニークな食べ物屋
 出抜小路の一角に、望楼「火の見やぐら」が建ち、てんぷら石水のばくだん焼き、ニューなるとの鳥の丸焼き、屋台屋ななし、ラーメン斬、鮨小樽などの店舗群がある。
 瓦屋根の上には「しゃけほこ」やうだつが見える。
 旧北海道雑穀  <2011.4.6>
旧北海道雑穀
 「旧北海道雑穀」の建物は、現在、「小樽彩や」の看板が架かっているガラス工芸の店になっている。
 小林多喜二歌碑  <2011.4.6>
食べ物屋 小林多喜二歌碑
 売り物件の看板の架かる寿司屋「多喜二」の前に小林多喜二の歌碑が鎮座していた。
 碑文には「あなたは北海道の雪を知っているだろうか それは硝子屑のようにいたくて細かくて サラサラと乾いている 雪道は足の下でキュンキュンもののわれるよう な音をたてる そして雪は塩酸に似て それよりはもっと 不思議な匂いをおくる 一九三〇年 書簡集より 小林多喜二」と彫られていた。
 錆びた金庫  <2011.4.6>
錆びた金庫
 旧板谷邸「海宝樓」に急な坂道が見えたので、辿ってみようと小路に入ると、無造作に錆びた金庫が置かれていた。
 流石に、粗大ゴミでも小樽らしい歴史が感じられた。急な坂道は、北斜面なのでまだ雪が残っていた。
 銀の鐘3・4号館 流氷凍れ(しばれ)館  <2011.4.6>
銀の鐘
 レンガ造りの建物が建つ小路に、銀の鐘3(クリオネ館)・4号館(流氷凍れ館)がある。小路からはメルヘン交差点に建つルタオが見える。
 ルタオ  <2011.4.6>
ルタオ
 メルヘンチックな建物のルタオはオタルの反対だが、店名はLeTAOとなっている。店内には美味しいケーキが売っていたので、ロールケーキを買ってしまう。 
 小樽オルゴール堂  <2011.4.6>
オルゴール堂
 メルヘン交差点を挟んでルタオの反対側には小樽オルゴール堂も見える。
 北一ガラス  <2011.4.6>
北一ガラス
 堺町本通りを、運河に向って帰ると、北一ガラスがある。
 妙見川 <2011.4.6> 
雪の混じった 大正ガラス館
 妙見川は雪の混じった流れになっていた。その辺に、大正ガラスの看板の架かった建物があり、夕暮れ時になると灯りが綺麗に見える。
 小樽浪漫館 <2011.4.6>
 
店内
 綺麗な窓飾りに引かれて、店内に入ると、店内はガラス製品が綺麗に飾っている。
 余にも可愛かったので、小物を買ってしまう。
 消防犬ぶん公 <2011.4.6>
銅像 天狗山を 由緒書
 戦前の繁栄していた小樽の心温まる犬の銅像がある。
水天宮   別ページ有り
 水天宮本殿・拝殿  <2011.4.6>
本殿 解説板
 本殿・拝殿は小樽市指定歴史的建造物第50号に指定されている。
 境内からは、冬木立越しだが沖合いに赤(北)防波堤、白(南)防波堤、手前にクレーンの見える第二埠頭、中央サイロの建つ港町埠頭、フェリー船着場の中央埠頭、平磯岬の上に銀鱗荘が見える。
                      ←大
第二埠頭     赤防 白防  港町埠頭      中央埠頭 銀鱗荘
 石川啄木歌碑 <2011.4.6>
歌碑
 水天宮の境内の一角に雪に埋もれている石川啄木の歌碑「かなしきは/小樽の町よ/歌ふこと/なき人人の/聲の荒さよ」がある。
 近づこうとするが、雪が腐っていて、ズボズボと埋まるので革靴では近づけなかった。
 三ツ谷謡村句碑 <2002.10.28>
碑文
 水天宮の境内の一角に、自然石に嵌め込まれた三ツ谷謡村(みつやようそん)句碑「柳絮とび/我が街に/夏/来たりけり」がある(柳絮とは「りゅうじょ」と呼び、柳の白い綿毛がついた種のこと)。
 河邨文一郎詩碑 <2002.10.28>
鉄碑 鏡のような碑文(大×)
 スクリュの付いた鏡のようなモニュメントだと思ったら、河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)詩碑だと言う。
 反射して何が書いてあるのか分からない。読もうと思っても光で目が痛くなってしまう。 
 慈愛の搭 <2002.10.28>
慈愛の搭
 昔は、子供達の帰宅喚起の放送が流れ、暗くなると照明が灯ったと言うが、今は荒れ果てているようだ。
 昔は、子供達の遊ぶ姿や歓声が聞えていたが、静寂そのものだった。公園にプールが出来たときには、わざわざ遊びに来たことを思い出すが、今となってはプールの位置が良く分からなかった。
外人坂
 <2011.4.6>
 外人坂の冬はどうなっているのだろうと、水天宮から覗いてみたら、人の歩く幅だけ雪が無くなっていた。手摺がないので、転がったら大変なので、愛棒と電車ごっこ状態で下って行く。
雪の外人坂 振り返る 平地から
 平地になり振返ると、結構な坂だと感じる。
 昔、名前の由来になったように、外人がスキーで滑っていたらしいのだが。
 <2002.10.28>
 水天宮から外人坂を下って行くと赤防と白防が近づいて来る。外人坂は急な坂で冬にはとても登ることは出来ないと思いながら、坂を振返り見上げると、石垣に花が咲いていた。
外人坂を下る(大×) 赤防と白防が 外人坂を見上げる 石垣の花(大×)
 急な坂の石垣を振り返り見上げながら下って行く。下るに連れて、展望が開け、海と町並み、万華鏡の様なルタオとオルゴール堂が見えていた。
石垣を見上げる 外人坂を振り返る 海と町並み 万華鏡とオルゴール
 史跡オタルナイ運上屋跡 <2002.10.28>
運上屋跡
 外人坂から街に下りると「史跡オタルナイ運上屋跡」の石柱と看板が立っている。
 史跡オタルナイ役所跡 <2016.11.26> 周辺地図
役所跡 石柱と看板 解説板
 釣具屋シーポートの横に石柱と解説板がある。解説板によるとオタルナイ運上屋からこの場所に引っ越してきたようだ。
 運河 <2011.4.6>
 日銀通りを下って行くと、臨港線の向こうに運河に架かる浅草橋が見えてくる。浅草橋の所で運河や赤岩山をバックに記念写真を撮す。運河沿いには「小樽運河ふれあいの散歩道」が延びている。階段を下りて行き、運河を間近に見ながら歩く。
浅草橋 浅草橋(大×) 運河と赤岩山 散歩道
 振り返ると、運河の向こうには、まだ、真っ白な吹上の山並が見えていた。運河に架かる中央橋を越えてさらに散歩道は続いている。途中、二つのドームのある小樽運河工藝館が見え、小樽の歴史が書かれたレリーフが壁に埋め込まれていた。最後に竜宮橋になる。
運河と吹上 工藝館 小樽の歴史 竜宮橋
 ふれあいの泉 <2011.4.6>
 浅草橋がいえんの戻ると人力車の引き手から声がかかる。誰も乗っている人を見かけなかったので乗ってやりたいが、渡ってしまった浅草橋を引き返し、小樽ビールへと足を運ぶ。
浅草橋がいえん ライオンの水道 由緒書
 橋の袂には広場があり、その一角に「ライオンの水道」があった。昔懐かしい水飲み場もある。
 小樽ビール <2011.4.6>
 北向きなのでまだ雪の消えない小樽港縦貫線沿いを歩いて小樽ビールへと向う。店内は平日の昼間なので、客はわれわれだけだった。窓辺の席に陣取って、ソーセージ満足盛を肴に、季節ビール、ピルスナ、ヴァイス、ドンケルと4種類のビールを飲む。
 店内の真中では仕込釜を外国の技師が点検をしていたり、窓からは運河が良く見えていた。
小樽ビール玄関 席に座って(大×) 仕込釜 窓から運河を

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 二人の散歩路記録
 2021.9.15 2011.8.31 2011.4.6 2002.10.28