達布山(143.7m) |
ポイント 遊歩道でも車でも山頂に到達できる。山頂の展望台からは大パノラマが見られる。 |
アクセス 三笠市の西外れで、高速道路の東側の道道116号線から北へ入る。公園入口と山頂には駐車場がある。 国土地理院地図 周辺地図 |
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公園の入口には「蜂に注意」と書かれていたので、車で山頂まで上がる。駐車場の端には遊歩道があり、覗いてみる。踵を返して階段を上がって行くと石碑があり、その傍に、読み方が書かれていた。 |
漢 詩 碑 在眼天塩石狩洲 長川一帯入空流 可無禦侮張権策 駐馬太布山上秋 明治15年9月 内務卿 山田顕義(あきよし) |
眼(め)にあり天塩石狩の洲(しま) 長川(ちょうせん)一帯空(いったいくう)に入って流る 侮(あなどり)を禦ぐ張権(ちょうけん)の策なかるべけんや 馬を駐(とど)む太布山上(たっぷさんじょう)の秋 平成二年七月建立 石碑は小野道海氏の書です |
展望台 | 遊歩道 | 漢詩碑 | 漢詩碑の解説 |
漢詩の読み方の方を見て、内容を理解しないまま、奥へ進むと四阿(しあ:東屋)が見えて来た。 |
達 布 山 三笠市指定文化財 昭和45年11月17日指定 達布はアイヌ語でタプ・コプといい、頂上のまるい峰の ことをいう。達布山は標高143.8メートル。 明治開拓期には、頂上にあずま屋、休憩所、屋根が傘の ような構造でクルクル回る風車仕組みの回旋塔などを設 けて道央の開拓のようすや石狩平野を見わたす展望地で あった。 明治16年(1883年)この山頂と月形の丸山とで火を 焚いて、月形との位置を測定、樺戸街道が開削された。 |
明治20年、達布山裾から峰延に通ずる道路をつくり、山 間の深い二つの沢に義経橋と弁慶橋をかけ達布山の景観と ともに名所の一つになった。 明治中頃までにこの山を訪れた要人には、西郷從道・山 田顕義、山県有朋・井上毅・榎本武揚・桂太郎・永山武四 郎・板垣退助など数は多い。 三笠歴史街道の図 三笠市開庁120年記念事業 平成13年9月建立 |
近づくと、東屋の前にタイルで囲われた立派な三角点が鎮座していた。 その傍に、三角点の由緒書きまである。 |
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達布山の由緒書き | 四阿 | 立派な三角点 | 三角点の由緒書き |
三角点の由緒書きを見て、改めて、青いタイルで囲われた三角点を見ると、方位も描かれていた。この三角点とコンクリートの道で繋がれている展望台へと足を運ぶ。中は螺旋階段なので、相棒は地上で待っていると言う。私一人で上って行くと、隙間から三角点の傍にいる相棒が見えた。 |
タイルで囲われた点 | 展望台入口 | 展望台を見上げる | 展望台の隙間から(大×) |
展望台の上に着くと、鳥瞰図があり、晴れていれば山座同定をして楽しめるところだが、今日は、所々ガスがかかっている。雲の薄い所は、芦別岳と夫婦岩、音江山が見えていた。 |
夫婦岩と芦別岳 | 音江山 |
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二人の山行記録 2007(H19)年9月18日(火) 晴れ |