物語1 2025年から突然始まった
                       
 この物語は自分達が年をとってからどんな山歩きをしているだろうと思い作ってみました。
 現在、まったく、健康な体力のある若い人には必要ないかも知れませんが、車椅子、パワフルな車椅子、スノーモビル、ヘリコプタを駆使して、老夫婦の山歩(散歩)を考えて見ました。
(1)タイムスリップ

 2000年3月1日北海道山メールにメールを送った。当日は札幌在住の山メール仲間の飲み会があり盛り上がっているだろうなと思いながら、寝てしまった。
 深夜に排雪作業があり、うとうととしながら、朝を迎えていた。身体の節々がとにかく痛い、身体も動かない、手はしわだらけになっていた。隣りにばあさんが寝ていた。良く見ると敬子だった。どうやら、2025年にタイムスリップしたようだ。変なタイムスリップだ。ひょっとしたら、2050年からかもしれない。そうすると100才以上生きていることになる。

 近頃、敬子と雅紀は登山で傷めた膝が悪化し、車椅子の生活を強いられていた。もう、80才になっていた。今日も、山歩きをしたときのアルバムを見て、元気だったときを懐かしんでいた。
 時々、山のメールを見て、盛んに感心していた。今のメールは昔と違って文章だけで無くなっていた。登山者はバッチ型のカメラのようなものを付けていて、それからリアルタイムに発進してくるので臨場感のあふれるものとなっていた。

 今日は熊林さんが日高山脈を登っているので、映像が入ってきていた。自分達がどうしても行けなかったかカムイエクチカウシ山なので食い入るように見ていた。

 そんな、映像メールに混ざって、昔風のスタイルで「車椅子で頂上へGO」というメールが入っていた。どうやら、自分で出したメールのようだった。中身は荒削りで、このままでは使えないもののように見えた。自動車で頂上へ行ける山も含まれとても山登りの対象には不満であった。

 しかし、山の空気を吸いたくて居ても立っても居られず、二人で久ぶりに出かけることとした。手始めに、藻岩山に行こうと、昔のように朝、おにぎりを作り、ノンアルコールのビールを持って出かけた。もちろん自動車は水素燃料の無公害エンジンで足操作が不要のブランニューモデルだ。

 どうやら、藻岩山の頂上の駐車場に着くことができた。驚いたことに車椅子用の登山道も道路沿いに出来ていた。建物の山頂も車椅子で行けるようエレベータが付いていた。二人で頂上のベンチでおにぎりを食べ、ノンアルコールのビールを飲み、久しぶりの山の感触を楽しんだ。昔のような美味しさはなかったが満足であった。

 今度は、車椅子で登ろうと決心し、遅ればせながら二人で、トレーニングに励む日が見られるようになった。
(2)車椅子での登山

 今日は天気がよいので、小樽の天狗山に行くことにした。高速道路は手稲から小樽方向に行けるようになっていた。朝里から倶知安に向かって高速道路が伸びていた。すかさずそちらへ行くと天狗山インターが見えたので、そこで下りる。すぐに、ロープウェーの山麓駅に着く。見ると、スキー場のゲレンデの真中に車椅子用の登山道があった。その道路沿いは、コスモスの花が咲いていた。昔もコスモスが咲いてきれいだったことを思いだす。

 登山道はゲレンデを左右に大きくジグザグをきって伸びていた。係り員に聞くと、スキー場は、ゲレンデに車椅子でも登ることができる道路を作ることが義務付けられているとのことであった。さらにゲレンデの左右はスノーモビルのコースが設けられていた。どうやら遠藤山の方に伸びているらしい。

 さらに、良く見ると藻岩山でみた登山道と違い、急な所でもゴルフ場にあるような、動く歩道がなかった。どうやら中級の車椅子の登山道らしかった。
 
 登るのを躊躇していると、係員からヘルパーがいるといわれた。相棒は腕の力がないので、ヘルパーを一人来てもらう。車椅子も登山用の電動アシスト式を貸してくれた。私は無理して旧式の車椅子を使うこととした。

 さて準備ができたので、登ることとした。途中に石仏があった旧道を横切る。途中でもう腕が笑ってきた。それでも必死に力を入れる。Uターンするときには、一度下り気味に次の登りになるので、ここで小休止ができる。今日は小樽湾(小樽生まれは石狩湾とは言わない)がくっきり見える。来て良かったと三人で話す。その間も腕が小刻みに痙攣する。

 ついに頂上に着く、早速レストランに入り、生ビールを二人で一本頼む。窓越しに小樽湾、暑寒別岳、樺戸山系が、夕張岳、芦別岳も見えた。まだまだ遠目はきくようだ。

 すっかり暗くなってきたので、ロープウェーで下る。
 帰りの高速道路で、60年以上も前の流行歌の札樽国道」を歌いながら、夢のスピードで帰る。

 どうも車椅子が旧式なので、早速、マウントメカしんり社へ向かい、マウント仕様の車椅子を注文する。ここの店長は環境保護はなので、仕様はかなりうるさいと聞いていた。電動アシストはもう旧式になっていた。水素エンジンが良い水素は燃えると、水になるので、植物にはまったく影響しない、それに液体水素を使うのでクーラーポケットでノンアルコールのビールも冷やせるらしい。

 しかし、音がうるさいのではないかと聞くと、けげんそうに、どうして鳥の声がうるさいのかと聞かれる。わけがわからずにいると、マフラーを変えることによって、鳥の声を変えることができるらしい。どうもおまえは格好付けマンだからかっこうが良いといわれ、それで結構となった。

 納品は一か月かかるとのこと、できるのが楽しみだ。
(3)久しぶりの遠出
 鳥の声のするパワフルな車椅子を手に入れるにはまだ、時間がかかりそうなので、山メールでも見ようと思いパソコンに向かった。
 もう車椅子は無理だなと二人で話しながら、メールを見ると、泉さんからのメールだった。身体障害者の登山のことが書かれていた。頂上でビールを飲んで幸せ気分に浸っていた二人には少々こたえる内容だった。
 しかし、昔風の二人の登山気質にはビール、いや、ピークが無いと不満であった。

 良く考えるとこの二人も身体障害者ではないかと思うが、頑固に認めようとはしなかった。山メールにホームページがリンクしているので、覗いて見た。どうやら、自分達に合う山が見つけられそうなプログラムが組まれていた。

 指示に従い、「夏山、自動車使用、普通の車椅子、道内、日帰り」を選択してみる。すると、知駒岳が目に止まった。うたい文句は手軽に山頂へ、天気が良ければ宗谷岬が見えるということだった。たしか、林さのメールにもあった山だと気が付いた。結構見晴が良いようだ。

 道北なので中頓別まで高速道路で行くこととした。どうやら、高速道路は稚内まで通じているようだ。高速道路は安全モードを選択すると、勝手に走り出す。安全モードなので追突しないよう一定の速度で走る。これは楽だと思いついうとうとし、ハンドルから手が離れると、途端に警告音が鳴り出す。

 これはまずいと思い、眠気さましに、口を閉じ喉を大きく膨らまし、耳道を開け(ようするに、あくび状態で口を閉める)、60年前の「七人の刑事を」ハミングする。鼓膜と脳が振動し眠気が醒める。同乗者には気が付かない雅紀独特の方法だ(相棒はいつも寝ている)。

 ようやく、中頓別インターチエンジに着く、知駒岳への道路を登って行くと、危なく頂上を通過するところだった。頂上は駐車場の奥にあった。そんなに、急な道ではなく舗装もしてあるので、普通の車椅子でも登ることができた。嬉しいことに道の左右には高山植物が植えられていた。

 頂上には山頂標識があり、三脚を立てカメラを固定し、記念写真を写す。北側はイソサンヌプリ山があり、東はオホーツク海、西は日本海が良く見えた。北の宗谷岬は見えなかったが、そのまた北に敬子の生まれ故郷の樺太が見えた気がした。ロシア人はいい人なんだが、ソ連(今のロシア)嫌だと、良く引揚者が言っていたのを思い出す。
 ああ、異国の地、樺太!もう帰らない!いつまでも!

 人は一人一人では良識があるが、集団化すると、凶暴にヒステリックになるのか、昔はマウンテンモータバイク、スノーモビルの連中が徒党を組んで問題を起こしていたことを思い出す。

 実は、頂上に着いて、一番先にしたことはノンアルコールのビールを飲んだことだった。実に爽快、爽快。
(4)パワフル車椅子

 ゴジュウカラとシジュウカラは親戚みたいな名前ですが科だったか目が違う見たいですね。ロクジュウカラになるとさらに類が違うみたいです。シジュウカラは平地、ゴジュウカラは山間地、ロクジュウカラは山でも平地でも夏でも冬でも、昼夜問わず活躍しているようですね。

 などど、メールを作っていると、パソコンがゴジュウカラの鳴き声を発し(ほんとうは鳴き声わからず)、画面が切り替わったので見ると、マウントメカしんり社の店長が写っていた。画面の下を見ると、店長ではなく社長となっていた。

 それにしても、1か月かかるところを、4日で仕上げるなんてすごいスピードだ。北海道の山メールの会員は優先的に早くするそうだ。早速、取りに行くことにした。

 外観はコンベンショナルタイプと変わらないな、と思っていると、しんり社長が説明してくれた。これはブランニュータイプの水素エンジン、このエンジンは前にも説明したが、水素が燃焼すると水しか発生しなくて、公害がないし、ブレーキはダイナモを回し、発生した電気で、水を水素と酸素に電気分解し、水素をボンベに貯めて、エンジンに供給するので、また、使える。

 これは、例の冷却ポケット、ビールを入れておくと良く冷える。これは、マフラでここのレバーを1にすると、カッコウの鳴き声、0にすると風を切るような音になる。

 テレビ画面には、登山道と花と鳥のモードが選択できるようになってる。花モードではわからない花があったとき、画面に取り込むとすぐ検索し、名前がわかる。鳥の声を察知すると、反応し、画面に名前がでる。このサーチシステムはオプションだが、サービスということだった。

 近くの三菱山が最近車椅子で登れるようになったというので、帰りがけ登ることにした。なるほど、市民の森だけあって登山道に沿って車椅子の登山道があるようだ。さっそく、車椅子に乗り込み、エンジンをかける。早速カッコウモードにする。登山モードは相棒はオート、私は、すこし腕の力を使う70%アシストで登ることにした。

 カッコウの2羽が登って行くが、時期も悪く花も咲いてないし、鳥も鳴いていない。急なところは、登りなれた登山道から離れ緩やかに登って行く。鳥が鳴かないので、私が鳥のまねをして口笛を吹いた。すると、例のサーチシステムが働いて、すかさず、今ノハ80カラデスと言う、どうして年がわかるのか不思議であった。どうやら一番上はナキガラらしい。

 昔、石原だったリフトの山頂ターミナルまでの道も舗装が行き渡っていた。ここからは頂上を巻きながら登って行く。もうつかれたので、登山モードをオートにして登る。頂上直下の階段は使わず、古いリフトのあったところから登るようになっていた。山頂にも標識が立ててあった。ながめは相変わらず良く、早速、ノンアルコールのビールを飲みおにぎを食べる。見なれた三角山や奥三角山が見える。

 気になったので、帰りに小別沢の登山口に行って見る。ここはやはり、尾根道が細いので車椅子の登山道はなかった。昔はここから登ったことを思い出す。奥三角は頂上までブルドーザで一気につけたような荒れた道があり、着くとそこが袋小路のような頂上だった。宮の森シャンッエがまじかに見えた。

 昔は、小別沢の登山口から奥三角山の林道へ抜ける道が、若干の薮漕ぎであった。登山口から登っていって、小別沢に向かって下らず、そのまま突っ切ると奥三角山への道だ。今は三角山から藻岩山へ縦走路ができていた。
(5)パワフル車椅子で登山

 パワー車椅子を手に入れてから、ずいぶんあっちこっちの山にいった。山と言っても自動車で行って、パワー車椅子ですぐ登れる舗装道路が頂上までついている山であるが、頂上のビールいや昼食は老夫婦にとっては充実した時間だった。

  昔、頂上まで舗装するなんて環境破壊もはなはだしく、クレイジイだという意見が圧倒的であった。しかし、スキー場やゴルフ場に比べるとその比ではないということになって、ついた道であった。環境破壊を最小限にするため、太い道を付けても、崩壊しないところであること、透水性のある材質で舗装すること、植生を壊さずに自生の植物を中心に、道の両側に花や木を植えることなど、きめ細かく、論議したようだ。

 もし、道が整備されていなかったら、パワー車椅子は役目を果たさなかったと思う。金子農機の8輪車でも乗って、未舗装の山道を登るとしたら、かなりの環境破壊になるし、自分も他人も危険にさらされたと思う。

 しかし、昔は1台の車椅子を5人がかりで頂上まで運んだことがあったが、ボランティアの方々も苦労に頭が下がる。今は良い時代になった。相棒も登山モードを99%アシストとして、明日は98%にするとがんばっている。今日は時間がないので、近くの手稲山に行くことにした。手稲山は聞くところによると、中級だということだった。

 見慣れた道をあがって行き、ロープウェーの山麓駅に着く、そこから、やはり、スキー場のゲレンデを左右に横切って車椅子用の登山道が伸びていた。早速、例によって、私は登山モードを30%、相棒は今日は98%アシスト(自分の力が2%ということ)て張り切って登った。

 車道を突っ切って、あの崖のようなコースをジグザグを切って道があった。あまりに急なので、Uターンができないまるでアルプスのスイッチバックのような道になっていた。ジグザグの端に来たときに、自分でその場回転をして、進んだ。しかし、コースを逸脱しないよう、道に電波発信器が要所要所に埋められていて、安全を確保していた。スキー場も道路をつけたことで斜面に雪付きが良くなったといっていた。

 道は険しいが両脇にはちゃんと高山植物が植えられていた。イワツツジ、ゴゼンタチバナ、ミヤマウスユキソウ、穂つつじなど陳腐なものだが、その中に、良く見るとどうも黄花シャクナゲのようだが、どうも違うようなのが混ざっていた。さっそく、サーチシステムを使って、検索すると、バイオ系と出てきた。どうも笹と黄花シャクナゲのプロトプラストの融合から作ったようだ。これだと、斜面を守ることができると感心する。

 ようやく、山頂に着くと、山頂は藻岩山のようなレストランになっていた。そこで、ゆっくりノンアルコールのビールを飲み、山座同定をしてしばし楽しむ。銭函天狗、小樽天狗山、余市岳、定山渓天狗、無意根、札幌岳などが昔どおにり見えた。残念ながら暑寒別の方向はかすんで見えなかった。つかれたので、ロープウェーで下る。
(6)夏のスノーモビル登山

  パソコンへ向かっていると、鳥の声のコール音が突然、割り込んできた。テッペンハゲタカ、テッペンハゲタカと鳴り出し、孫の顔がパソコンの画面に入ってきた。最近まったく顔を見せなかったが、来たところを見ると、さては誕生日が近かったかな、まだ、誕生祝い振り込んでいなかったな。催促かな?と思っていたら、スノーモビルに乗せてやるということだった。

 聞くところによると、百松沢山がスノーモビルの日本初の認定レーシングコースになっているようだった。山麓のゲストハウスニいるからすぐ来いということなので、うれしくなって相棒とでかけた。この真夏にスノーモビルが乗れるかなんて相棒が疑っていたが、孫の言うことに間違いはないと言ってやった。

 百松沢山の山麓にはなるほど立派なハウスが建っていた。車を止めていると、孫が近づいてきた。見るとそばにめんこい女の子がいた。どうやら、彼女らしい。いつも、昔、百松沢山の山頂まで行けなかった話しばかりしていたので気を使ったようだ。魂胆はなにかわからないがとにかくのった。

 2台のスノーモビルを用意してたあった。1台は私と孫がもう1台は彼女と相棒(私の連れ)がのることにした。コースを見ると、グリーンの人口芝が張られた恐ろしく長いコースが目の前にあった。両側にはびっしり花が咲いていた。
 さっそく、乗せてもらうが、なんともいえない快感があった。このごろは、まともに顔で風を切ったことはなかった。
 しかし、あの雷みたいな排気音が聞こえない、ずいぶん耳が遠くなったと思っていると、旧式のバッテリ式だようだった。しかし、あっというまに頂上だ、頂上から迷沢山まで、冬はコースになるようだった。

 夏山の登山道は常次沢から南峰に付いているようだった。完全にスノーモビルのコースと夏山の登山道は分離されているようだった。冬はどういう状況か、孫に聞くと、冬はバッテリ式ではパワー不足で登ることができないので、知らないと言うことだった。

 さっそく、マウントメカしんり社へ直行し、最新式の水素エンジンが付いたスノーモビルを注文した。排気の鳥の声をなににしょうかと考えていると、社長が笑ってマフラが大きいので、数種類の鳥の声や他の擬似音が付いているということだった。

 これとこのレバーを開ければ、ブッポウソウとSLの音が合成され、ボッツポウソウ、シューという音になるらしい。マフラーは後ろでなく真っ直ぐ上に伸び、少しでも植生に影響の無い配慮がなされていた。

 サーチシステムには、動物の足跡がわかる機能が追加されると言う。これで、花、鳥、動物の足跡が瞬時にわかるようになると言う。装置はアンコウの発光部のようなカッコウおっと格好でぶら下がっていた。

 なお、誓約書を一筆書かされた。
 内容は、きわめて常識的なことであったが、指定区域外には立ち入らない、決められた運転方法で運転することということであった。どうやら指定区域や運転方法があるらしい。
(7)冬のスノーモビル登山

 さて一夜にして冬にしなければ、間に合わないよ。冬、ウインター、winterだよ、熊さん冬眠。かわいそう!このごろの冬山は日替わりで、スキーとスノーモビルが入れ替わって相互の理解が得られているところがあると聞いた。

 スノーモビラーに人気がある無意根山もその1つだった。昔では考えられなかったことだが、スノーモビルが低公害型になったこと、マナーが格段に向上したこと、なんといっても、誘導システムを作って、道を外れないようにしたことか!

 さっそく、インターネットで登山の手続きをして、許可を得た。さて、マイオートモビルにマイスノーモビルをオートで付けて、マイワイフの相棒とドライブしてマウント無意根山の登山口についた。どうやら、今日はモビル日のようだった。許可を得ていない自動車はゲートを通ることが出来ないシステムになっていた。

 スノーモビルの水平に倒しておいたマフラを空に向けて起こし、最新の水素エンジンをかける、ポーッホケキョ、シューの音を選択し、出発する。どうも、今日はボーケ、ボーケと聞こえる。気のせいかな!

 スノーモビル道がつけられていて、みんなそこを走っている。道の下は原則的に夏の登山道になっていた。今日は初心者日でもあったので、みんなスピードが遅い。車間距離も十分取って安全運転につとめている。その分、他の楽しみもあった。ぶっ飛ばしたい人は百松沢山で思う存分やっているらしい。

 前にぶら下がっているサーチシステムは、どうやらカンテイカというらしい、なんだか、ブーンブーンと唸っているようだ。なんだか蚊のような音だ。なにかと思い、システムを動かすと、カンテイカは何かを見つけたようだった。正式な名称は発明者の名前を冠して、しんり鑑定家というらしい。

 かってにドッ蚊に、いやどこかに飛んでいった。画面に雪の上の動物の足跡が現れた。どうも鑑定に時間がかかると思ったら、きれいなフォックストロットの流れではなく、蟹股の狐らしく、狸の足に似ていたので、時間がかかったようだった。ディスプレ画面にはしんり社長が現れ、おもむろにキツネと鑑定する。

 登山道は冬とはいえ、夏に決められ、その下に、誘導装置が要所要所に埋められているとのことであった。道理で、運転が上手いと思ったら、オートモードだったので全然道をはずすことはなかった。
 また、積雪の高さも決められ、それを下回ると、入山禁止になるので、スノーモビルでの登山時期は短い。やがて、頂上につくが、頂上にいる時間が15分程度と混み具合いにもよるが決まっている。頂上から、さらに中岳、喜茂別岳と続いていて、中山峠にも行けるようになっていた。

 当然、頂上では冬でもビール、カップヌードルとおにぎり、フワー、フウフウ、ゴックン、アワァワァワァ、あーうまかった。景色はどうしたんだ!景色は!! ああ白銀がきれいだった。羊蹄山も良く見えた。

 スキーもスノーモビルも冬でも登山道を決めたので、白銀の上は野生の動物が走りまわって、きれいな足跡をつけていた。
(8)ヘリコプタとパワフル車椅子登山

 熊さんウェイクアップ春だよ!
 道北の函岳でヘリコプタ登山が、始まったらしい?コースは尾根コースと沢コースの2つがあるようだ。さっそく、インターネットで申し込むと、キャンセルがあって、すぐ順番が回ってきた。
 そういえば、昔は積丹岳でヘリコプタスキーをやっていたと思いだす。その要領で、車椅子ごと山頂へ運んで、山頂の景色や草花を楽しみながら、昼食をとるというものらしい。

 登山口に着くと、ゲストハウスがあり、中に入るとキャディさん、いやマウントクライミングアシスタントがやってきて、すぐ、ヘリポートへ連れて行ってくれた。へりは15分毎に頂上へ飛び立つ。10分もしないうちに、頂上直下へ着く。
 そこから、緩やかに巻いて頂上へ向かう。もちろんパワー車椅子、ここなら登山モード50%アシストでジイ分、いや十分だ。相棒はようやく95%で登ることを決意したようだ。排気音はブッポウソウに変えてきた。大意はないが、ひとり言をブツブツ言うと、なにか相槌を打たれているような気がした。ブツブツ、ホウソウ、ブツブツ、ホウソウと・・、気のせいだ!

 登っているうちに、きつくなったので、そっと80%アシストにして、狸になる。すかさず、サーチシステムが作動して、モニタ画面に、これは狸爺と表示がでる。すっかり壊れちゃってる。

 一方、前の相棒はどうも唸っているようだ、なにをしているのか、聞いてみると、昔、熊岡さんが、ペットボトルに水を入れて、登って体力をつけていたので、おしっこを我慢して、荷重を落とさないようにしているらしい。私は知恵蔵のポケットサイズの電子本だった。重そうだ!

 狸爺もそっと元の50%アシストにもどす。とたんにきつくなる、ウーンきついねと思わず、ひとり言、とたんにサーチシステムがキツネ爺と表示する。クソッタレと思わず口に出る、途端にクソ爺と表示がでる。本当にぶっ壊れている。

 なにか昔と違うな、だれも昔のように鈴をならしていないことに気が付いた。マウントクライミングアシスタントに携帯電話で聞くと、熊はみんな注射器のような器具で50年間電波を発信する小さなチップを体内に埋め込んで、大雪山のセンタで管理しているとのこと。
 熊がどこにいるか、全部把握しているので、心配ないということだった。どうやら、この山には今日は熊がいないらしい。道理で静かだった。

 しかし、立小便が公然と認められている犬はどうだ!家の庭でうんこ、小便をして行く猫はどうだ!熊をキャラに使っている関係で、すっかり、感情的になって熊の肩をもっている自分に気づいた。

 昔、福井からネオパラ山に春先登った時に、時間が無くなり、途中で引き返し、尾根取り付きの岩のある、割と見晴らしの良いところで、おにぎりを食べているときに、大きな犬が2頭突然現れて、思わず立ち上がり、口を動かすと近づいてくるので、二人で飼い主が来るまでフリーズ状態になったことを思い出す。
 せっかくのおにぎりが台無し、食べ物の恨みは恐ろしい。

 そんなことを思っているうちに、頂上に着いた。頂上についても、おにぎりは、おにぎりと頭をよぎる。さっそく、記念写真をとり、ビール、ビール、おにぎり、おにぎりと二人分のなので、反復表現です。

 頂上ですっかりいい気分になったので、帰ることにした。登りでは気が付かなかった人工的ではあるが高山植物が随所に植えられていた。

 さっそく、サーチシステムに取り込むと、珍種が多かった。坂ナマ酔いどれ草、熊おっかな草、林きまじ草、藤焼山本草、泉ホンマジ恵草、松かすみ杖草、妻花々好草、一人静かしんり好草、合せ160年ボケ木、カンテイ花木、ガラ草等見ていると、いつもながらくだりに時間がかかる。
 いやあ、便秘のほうが時間がかかるよなあ・・エッ!
(9)冬山ヘリコプタ登山

 Q.itohさんのホテルまで、スノーモビルの連中が乱入したなんて、ふざけてますよね、引き上げるときにきっとマフラーを落としていったんですね。どんな色いや鳴き音だったでしょうか?そのマフラー。

 このくらい書いておけば少なくても4、5人は見てくれるね!さて、いよいよ最終回へGO==←これ太い眉毛のつもり
なんだろ?ダディ

 シルバーカプセルプランが始まった。厳冬期に山の頂上にカプセルごとヘリコプタで吊り上げようという計画だ。対象は夫婦か二人で160歳、そのうち登山歴が50年といった条件がついていた。

 さすがに、これは若者からの反対がすごかった。
 しかし、年寄りパワーもまけずに、結構理路整然と説得にあたった。環境破壊の疑惑には、次のような反論をした。

 登山での接地圧について
 条件:1人の重量を装備も入れて100kgとする。

 つぼ足(100kg)           0.16kg/cm2  足の幅10cm,長さ30cmの2足の600cm2
 カンジキ(100kg)          0.056kg/cm2  幅20cm,長さ45cmの2足の1800cm2
 スキー(100kg)           0.025kg/cm2  幅10cm,長さ2mの2本で4000cm2
 ストック(25kg;体重の1/4)   0.32.kg/cm2  直径10cmとして78.5cm2
 スノーモビル(600kg)      0.04kg/cm2  ゴムクローラ幅100cm,長さ150cmで1500cm2
 シルバーカプセル(1000kg)  0.025kg/cm2  2m×2mで40000cm2
  注)私はサイズや重さは全くしりません。あしからず。

  と試算し、頂上でスキーで立っている程度の接地圧だと説明した。ちなみに、スキー片足で立つとスノーモビル並ストックに頼るとかなりなる。ただし、そっと置いた場合でスキーやスノーモビルでジャンプすると、位置のエネルギーmghが加わりかなりのダメージが下の植物に与えられる。

 シルバーカプセルはヘリコプタでそっと雪の上に置くためスキー並の接地圧ですむということで、納得がえられ積雪2m以上で、試験的に許可になった。

 このプランを行うにあたり、夏山の花の分布、貴重な松の分布を徹底的に調査し、決して、高山植物の上には置かないよう配慮された。とはいえ、これは登山家の常識となっていた。スキーも、スノーモビルも、つぼ足でも高山植物帯には踏み入らないことが配慮され、冬山の登山家に高山植物帯の分布図がわかるマウントナビの装備が義務付けられていた。

 特に、波葉ぺトル松(学名:wave leaf pine like pet-bottle)は珍種で、植生をよく調べられた。今は禁止されているが、
昔は、切ると中からアワを吹いて水が出てきて、重宝がられたり、重たいので切り口をふさいで、負荷として体力増進に使われていた。 

 さっそく、インターネットで申し込むと、ちょうどよくキャンセルがでた。山は夏でも登ったことのない1839峰だ。
 しかし、時間が無い。

 日高まで高速でぶっ飛ばすことにした。モードはプラートン走行にした。ぎゃーおっかねーちゃん(おとうぼくちゃんとはいわない)、前の車の5m位後ろにぴったりついて走る。しかも、10台くらい数珠繋ぎだ。

 プラートン走行はアメリカで実用化した方法でGPS(Global Positioning System,24個の静止衛星から発する電波アメリカ軍の持ち物、カーナビ、マウントナビにも使われている)と追突防止のレーザ光線によって走るシステムで、渋滞解消を狙ったと説明がある。

 とにかくすごいと思っていると、もう日高インターに着いた。さっそく、ヘリコプタ基地に向かう、シルバーカプセルの準備ができていた。さっそく、乗せてもらい。頂上へひろみ、いやgo!今日は、一般登山者がいないので実行できたし、なによりも天気が良かった。

 日高山脈をまじかに見て感動する。まもなく、頂上へ着く持ち時間は30分、ヘリコプタは上空でホバリング(静止)し待機している。おもむろに、例のおにぎりとノンアルコールのビールを飲む。朝抜きだったので腹わたにしみる。

 シルバーカプセルは下はステンレスのポット状、上全体がペアガラスの窓で外観はたまごだ。中は暖房はないが体温で十分暖かい、非常食も15日分常備されていた。

 しかし、ここから出ることは許されなかった。カプセル内には、この山にまつわる記録がわかるようになっていた。年代をさかのぼると、1999年7月27日9時20分、坂口北海道百名山の最後にこの山を登ると記され、字幕と坂口さんの記念写真がでてきた。やあ26年前は若かったと思う。

 せっかくの頂上での絶景の記述はないが、いや、見てないので出来ないが、とにかくすばらしい。と思っていると、もう時間らしく、ゆっくりと吊り上げられて行く。

 まもなく、春が近かったので、ボタン雪が降ってきた。ボタン雪を見ていると、急にあっがったり、下がったり後ろに行ったり、前に行ったり、幻惑される。うーん目が回ってきた。わーぐるぐる回る。もう一回使ってと、おっかねーちゃん、ぎゃートルズ・・・
 
 と騒いでいると、ピョピョ、ピョピとピョと俗っぽい鳥の声がする。よく聞くと目覚まし時計が鳴っていた。手をそっと見るあんなしわは無かった。側の敬子も今までの敬子だった。ああ本当に疲れた。これから出勤か!
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