南区の碑
地 区 藻岩下 藻 岩 澄川 真駒内 芸術の森 石 山 藤 野 簾 舞 定山渓

 ポイント
 「さっぽろ みなみ区 碑を訪ねて」に案山子にして尋ね歩く。南区のHPでは文章の使用が禁止されているので、見たままを記載する。
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澄川地区
 3.開拓百年碑、澄川開拓記念之碑(山ノ神・熊之神碑 新設大林碑 豊受姫神碑)
  澄川4条11丁目8 <2017.4.11>
 周辺地図
 真駒内から五輪通(道道82号線)を辿り、精進川に架かる澄川橋から対岸を見ると赤い壁が見える。近づいて行くと、赤い壁は階段だった。壁には由来書が嵌め込まれていた。雪で埋まった階段を登って行くと、開拓記念の三碑には入っていない「開拓百年碑」が鎮座していた(昭和55.5.5建立)。更に、階段を上がって行くと開拓記念の三碑が並んで鎮座していた。
赤い壁の階段 由来 開拓百年碑 開拓記念の三碑
 山之神と熊之神は同じ石碑に並んで刻まれている。碑陰には「明治〇十四年八月/石工野口岩松」と刻まれてはいるが、由来書の建立月日が別々で良く理解できなかった。豊受姫神は由緒書きでは昭和21(1946)年建立とあるが、石碑には建立月日が刻まれていない。新設大林碑は由来書では大北大総長佐藤昌介大正5年(1916年)9月建立とあるが、石碑自体が欠けたり、修理した所もあり、解読できない所が多い。松の下には大典紀念松の碑がひっそりと鎮座していた。建立年月日は刻まれていない。
山之神・熊之神の碑 豊受姫神 新設大林碑 大典紀念松
〇〇〇里之@有新大林此地平岸村也故〇部奥之助●所施設長南北短
〇〇〇道西沿精進川興真駒内隔一流耳〇治廿九年七月請●●●十月九
〇〇〇二萬九千二百餘坪是返官衛之重〇地以交換焉者●所請僥倖許可
〇〇也用此稱似分成地也三十九年十〇月始奄有之●平担測量則百八
段二畝六歩也低測量則約二百六十町〇〇川之●●●平●以為耕地
〇其墾水陸田約二十町餘也沿川以外自北〇〇●境●●●●其長一千六
〇〇〇〇適地以故三十年四月需海松五萬〇〇●●●●●●次加多矣其
〇〇〇〇旦天然林九十町既  ●跡者二十〇〇●●●七月域内有理事舎
〇〇〇〇〇專任管●●蓋其職今也効顕而〇好●●●月●●事哉頃目中
〇〇〇〇〇谷翁後嗣自阿部●来曰今十月則〇●●●二十年先ト地千
〇〇〇〇〇鴻業自今而浚以此碑畦為部落繋堤之三●●一會則●成使後
〇〇〇〇〇A舉殊中井氏以議員致心検●〇吉田●●●●力其部落二
〇〇〇〇月此美コB以建碑稱揚翁之〇コ〇矢柿翁之●●業固非一朝也
〇〇〇〇土此矣加●新大林也爲之刑C費●●●●●●呼會此丘土者
〇〇〇〇〇是大林以翁之心爲心營●●其〇●●●●●●●●●●●●
〇〇〇〇〇即位式前一月           〇●●●●●●●●●●●●
@:戸の口が由で下が匆
:手偏に
:上がタ、下が缶の様な編に系
A:弐の一が土で、ニがク
B:耳の上が伸びてその下にケ(所?)
:の様な漢字
:玄玄
C:一の下に川とケ(経?)
〇は欠けていたり、補修した跡
●は解読不能
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 二人の散歩路記録
 2017.4.11