南区の碑
地 区 藻岩下 藻 岩 澄川 真駒内 芸術の森 石 山 藤 野 簾 舞 定山渓

 ポイント
 「さっぽろ みなみ区 碑を訪ねて」を案山子にして尋ね歩く。南区のHPでは文章の使用が禁止されているので、見たままを記載する。
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
芸術の森地区
 1.望豊碑 <2010.12.8> 周辺地図
公園の一角に 石碑 由来書
 何時も通り過ぎている道端に、駐車場のある三角形の公園があり、その先端に石碑と副碑が鎮座している。
 由緒書は掠れて読み難いところもある。
    望 豊 台 の 碑 由 来
その昔、石山で切り出された札幌軟石は荷馬車に積まれて札
幌へ搬出された。当時の石山陸橋は砂利道のしかも急勾配の
山道であった石材を積んだ荷馬車にとっても人馬共に汗を流す
難所であった。頂上に着くと待機している二十頭から三十頭に及ぶ馬車
石材を積み替える中継の場所でもあった。交替を終えた馬車は附近の草
を食み人は憩いのひと時を過ごしたわけである。彼方には父なる藻岩山
が優しく座り眼下には母なる豊平川の清流がとうとうと流れているので
あった。郷土石山を愛する豊平町青年団石山分団の人々はpこの先人の
苦労を偲び開拓の心を後世に伝えようと昭和十三年六月十五日望豊の
碑を建立したのである。時は流れ今はここ石山陸橋は真駒内西岡支笏
湖定山渓へと五本の道路が交叉する札幌の南の交通の要所であり、交
通渋滞の難所であった。この解決策として真駒内と支笏湖を結ぶ高
架道路の建設となったわけである。
昭和六十一年十一月三日 この高架道路の開通を機会に半世紀
に及ぶ石山の歴史を見てきた「望豊台」の碑を保存するために
移設したものである。石山に生まれ石山に育ち石山を愛した当時
の青年団のみなさんの志を受けこれが新しい時代に引継がれる
ことを願い、ここにその由来を記すものである。
    昭和六十一年十一月三日

      石山望豊台の碑保存会
 3.開拓記念碑 <2016.10.19>真駒内143番地 周辺地図
石碑 開拓史
 市道真駒内発滝野線の中央バス停「駒岡開拓記念会館前」に駒岡開拓記念会館があり、その庭に石碑がある。開拓史を見ると、満州と樺太からの引揚者と地元戦災者が昭和22年7月20日に入植して開拓を始めたようだ。自然石の石碑を眺めるが、建立年月日は探せなかった。
 4.開拓記念碑(恵) <2016.10.19> 周辺地図
石碑 副碑
 市道真駒内発滝野線の中央バス停「恵開拓記念碑前」に三方から恵の玉を支えた石碑がある。
 副碑の碑陰を見ると、昭和42(1967年)年9月28日建立と刻まれている。
 6.開拓記念碑.馬頭観音 <2012.4.28> 周辺地図
 滝野神社の鳥居をくぐり、階段を上がると、社がありその左側に左側に所以が刻まれていた。開拓記念碑は、登って来た左側の小高い所に石段があり近づいてみた。碑裏を見たら開拓功労者6名の名前はあるが、建立年月日は刻まれていない。石碑の横に2体の石仏がある。左側の石仏を見ると、頭の上に馬の顔があり三面で、馬頭観音だと分かるが、右側の石仏は鎧姿で剣を持っているところを見ると不動明王のような気もする。
滝野神社 所以 記念碑 馬頭観音
 7.常盤開基百年記念碑(大地の恵みと共に) <2011.1.20> 周辺地図
神社の鳥居から 石碑
 常盤神社の階段を上がり、鳥居から中を覗くと、左側にブルーシートに覆われている石碑が見えて来た。近づいて見ると、確り、ブルーシートに覆われていて、中の石碑を見ることは叶わなかった。
 随分、大事にされている石碑だと感心して後にする。
 8.記念碑(厚別水車器械所跡) <2015.10.6>  周辺地図
記念碑 レリーフ 碑文
 厚別川」沿いの道道341号線(真駒内御料札幌線)のアシリベツの滝付近に鎮座している。
地 区 藻岩下 藻 岩 澄川 真駒内 芸術の森 石 山 藤 野 簾 舞 定山渓

散歩路もくじ2へ     次石山地区へ    北の探歩訪へ

 二人の散歩路記録
 複数