明治42年7月、四国霊場20番奥の院、慈眼寺貫主が北海道巡錫のみぎり、角田村
桜ヶ丘に在住の真言宗篤信家・藤原キシ氏宅に一泊、角田村に高野山支部が、未開設
であったことから10数日滞在し 八十八ケ所霊場の設置を出願し、本山の許可を得て
支部の開設をみた。
藤原キシ氏・僧正導師の下に得度妙遍法尼と称し、不況に専心 栗山寺を開創。
●明治43年お大師山「杉武一郎氏公園造成地として26,783坪寄付に」不動堂、奥の院建立。
●明治44年信者の篤志により、御大師山に「四国八十八ケ所を模した霊場」を建立した。
●建立するにあたって四国八十八ケ所本山寺の「土」を受け、各石仏の下に埋め祀っている。
●各石仏の間隔は、1間1里とし四国本山寺の距離を、2,160分の1に縮尺したものである。
●石仏一体の建立費を、15円とし浄財を募り多くの人々の賛同を得て建立された。
●当時 北海道では、他に例を見ない霊場として多くの人々の巡敬を得た。 |
弘仁6年(815年)に弘法大師が四国霊場を阿波の国(徳島県)を発信の地とし、
道場23ケ寺(1〜23番)、土佐の国(高知県)は修行の道場16ケ寺(24〜39番)、
伊予の国(愛媛県)菩薩の道場26ケ寺(40〜65番)、讃岐の国(香川県)涅槃の道場
23ケ寺として88ケ所の修行の道場として建立した。 |
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