ニセコの碑 平和之碑 秩父宮殿下御登山記念碑 平和の碑 拓秀峰麓郷の碑 斉藤忍隋の碑 |
平和之碑共和町 国土地理院地図 Google Map |
2010(H22)年8月6日 |
ニセコの長沼は大正時代から幾度となく人の手が入っていることはあまり知られていない。この碑があることすら知らない人が多いと思う。一度、ダムの上を歩き、この碑を訪れると納得できる。最初に建立された石碑は左から昭和27年、昭和32年、昭和43年となっている。平和の碑は何時建立されたのか、裏側がハイマツが邪魔で見ることができないので分からない。碑文の漢字で達は幸、壽の口無しになっている。 |
平和之碑 | 昭和27年建立 | 昭和32年建立 | 昭和43年建立 |
こゝ長沼は水面三万坪に及ぶ天恵の貯水池で ある嘗てこれをソコナイ川につなぎ延長四里堀 株川に注ぐ自然の大灌漑溝とし東西老古美学田 上下梨野舞納等に亘る約四百町歩の土地を霑し たが水量が不足で殊に昭和三年の大旱には流域 の農民が死活の竿頭に立つに至つた茲に於て沼 水を切り下げその急を防いたが九月更に流域に分 派してゐた小組合が相寄りソコナイ線連合會を 組織し堰堤工事を施して貯水池としての機能を 強化した以後幾度か増改修に並々ならぬ努力が 續かられたが昭和二十六年秋道費の補助を得て 堰堤の擴張樋放水路等の工事を完遂する事が出 來住民多年の念願がこゝに達成せられた、これ 偏に流域住民の和合協力の賜である功成るの時 恰も新生日本獨立の日を迎えた永遠の平和が流 域住民の上にある事を祈り此の碑を建てゝ記念 とする 昭和二十七年十月四日 撰文北海道大学教授農学博士倉新一郎 前田村長 山本精一書 |
ソコナイ線連合會 初代會長故本多●● 二代會長故大木登三郎 役員 北野茂八 舘光之助 安達啓治 故森 助松 現會長本多森太朗 副會長岩本 豊 副會長兼会計七田k四郎 役員 松屋仙次郎 池町昌作 廣谷義雄 田澤勇藏 斎藤國雄 橋本力之助 大木栄之助 現場委員関 孫 市 田岸留三郎 笠原善三 |
宿内線連合会 | |
この長沼は天恵の貯水池として組合長が幾多の犠 牲を払い増改修や堰堤工事を行ったので水源の枯渇 などのよる用水不足も解消となり多年の念願が達成 されていたが偶々昭和弐拾八年六月融雪災害ににより 堰堤決壊の惨事が発生した 然し組合員はひる むことなく応急処置をなし急場を凌ぎ一方この災害 復旧事業は築堤ブロック張りの堅固な工法で農林省 の決定を見たので受益者負担は特別賦課金で支出を 決めただちに着工した 起伏峻険な人道よ りない難所の復旧資材運搬は組合員武田信広 高橋 敬次郎両氏がその掌に当たり血みどろの苦闘を続けて 実現請負者金沢組建設株式会社再度の犠牲的施工と 組合員が一致団結これを助け綜合的努力の結集でこ の難工事が見事に完工することが出来た この貯水池が永遠に破壊することなく 流域水田を 潤し組合員の福祉の多からんことを祈念しここに 平和の碑に刻む 昭和三十二年十二月二十日 碑 書 共和村長 山本精一 工事設計者建設課長浅井住夫 |
会長 丘崎勝己 副会長 橋本力之助 会計 山城幸栄 浜岡正行 役員 岩本 豊 秋山力藏 松屋仙次郎 古沢壽一 神山仁太郎 島本善三郎 森 福 市 古屋六次郎 大尾信登 委員 岡部●● |
国定公園指定区域内にあるこの天恵の長沼貯水 池も大正年間より数々の増改修を加え大字老古 美 梨野舞地帯の四百佰の土地を潤している が近年老朽化し漏水の現象が極度にあらわれ減 水が目立ち関係住民が不安に陥ったのである これが復旧事業として道営老朽溜池事業が認め られ昭和四十年度より三ケ年継続で着工となり 底桶斜桶の安定箇所への移設既設築堤体中心部 より深度八米のクラウト工を間隔一米單列に行 う漏水防止事業が昭和四十二年秋完成を見るに 至ったことはこれ偏に組合員一致団結協力の賜 である この貯水池は永遠に漏水枯渇すること なく関係住民の安定した農業經栄確立への基盤 となる事を祈念し併せて明治百年北海道開発百 年の意義ある年にこの碑を建て記念とする 昭和四十三年二月十一日 碑文 宿内線連合会長 嶋 保 揮毫 共 和 村 長 山本精一 |
2024(R6)年6月19日 |
木々が繁茂したり、石碑が劣化してスッキリしなくなっていた。通路はササ刈りされていた。 |
平和之碑 | 昭和27年建立 | 昭和32年建立 | 昭和43年建立 |
秩父宮殿下御登山記念碑<2010.8.6> 共和町 国土地理院地図 Google Map |
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大湯沼の入口に記念碑が建っている。 |
平和の碑<2011.6.16> 共和町 国土地理院地図 Google Map |
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小沢神社の境内に建立されている。碑文には「平和之碑/昭和39年5月●忠魂碑」の文字が刻まれている。 |
拓秀峰麓郷の碑<2011.6.6> 倶知安町 国土地理院地図 Google Map |
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倶知安町の岩尾別会館の前庭に羊蹄山をバックに建立されている。 |
岩別開基百年碑 この岩尾別は、明治三〇年代はじめ、成瀬勝次(富山県)、武岡豊太 (兵庫県)が創設した二農場及び個人入植者により開拓された。 清涼な水と豊かな川の幸、四季それぞれの山の幸に恵まれてはいたが丘 陵と澤深い岩尾別原野で、つましい開拓小屋、粗衣、粗食に耐え、地を覆う 竹、熊笹、林立する巨木を切り拓き、さらに酷寒、猛暑の自然と闘った開拓 先人の労苦は想像を絶した。 曽って炭焼く煙がたなびき、石切る音がこだましたこの里も、観光地の玄 関として一変した。 ここに地域開発百年にあたり、故里創成の偉業を讃え、限りない未来に夢 を託して之を遺す。 平成七年七月 倶知安町長 伊藤 弘書 |
斉藤忍隋の碑<2011.6.16> 倶知安町 Yahoo Map |
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大仏寺初代住職斉藤忍隋が描いた大仏寺本堂天井画が倶知安町指定有形文化財(第1号)に指定されたことの記念碑のようだ。 |
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