長沼町名所旧跡
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 長沼町9区開基百年記念碑 <2015.12.14>
記念碑
 20年前の1995(S40)年9月に建立されたようだ。
 
 彰●碑 <2015.11.28> 周辺地図
神社の境内 石碑 碑文
 神社の鳥居の傍に建立されている。顕彰碑と思われるが、勉強不足で文字が読めない。
 大正8年の建立にしては、痛みもなく、文字も確りしている。後世に建て替えられたのだろうか。
 彰●碑
北海道石狩國夕張郡長沼村及ヒ幌向角田諸村一帯ノ地ハ二十有五年前ニアツテハ
未懇ノ地寂寞ノ境ナリシカ今ヤ肥田開ケ良圃連リ鶏犬ノ謦相聞ヘ誠ニ北地ノ良農
村ニシテ其耕地二百五十餘町歩ハ實ニ實吉賀之丞君拮据經營精励努力ノ効ニ依ラ
スンハアラス君ハ鹿児嶋縣日置郡伊作村ノ士族ニシテ嘉永三年三月十五日ヲ以テ
生レ現ニ我カ長沼村ノ人トナル資性惇厚ク衆ニ堆サル明治二十六ネン四月真成社
員子爵吉安純男爵木僉寛ノ二氏北海道未墾ノ地ヲ開拓セントシ君ニ依嘱スル
ニ其實務ニ當ランコトヲ以テセラル君憤然之レニ應シ渡道セラン其翌年家眷ヲ率
ヒ移住シ長沼村ニ於テ百二十餘町歩角田村ニ於テ五十町歩初メテ開墾ニ従事シ着
々其緒ニ就ク其後更ニ長沼村及ヒ幌向村ニ於テ約八十町歩ノ土地ヲ讓リ受ケ明治
四十三年開墾シテ畑地トナシ其翌年更ニ其内百五十町歩ヲ水田ニ變更セリ君カ北
ノ廣漠ナル田圃ヲ耕耘スルヤ曾テ小作者ヲ募集セシコトナシト雖四方其徳ヲ慕ヒ
集マル者日ニ多キヲ加ヘ以テ従順ナル小作者ヲ得テ今ノ優良ナル耕地トナスニ至
レリ余等微力ト雖亦タ君ノ拮据精勵以テ至難ニ業ヲ成効セラレタルニ小補ナ
シトセス君ノ効績ヲ徒ラニ談ニ附スルニ忍ニス仍テ小作諸氏賛襄ヲ得テ効
績ヲ石ニ勒シ以テ後昆ニ彰ハスト云フ
                              監督者 三浦恒治
   大正八年四月二十三日                  世話係建立
                              從六位 奥田象三書
                                            陸前井内龜井
長沼土地改良区記念公園 周辺地図
 豊水碑 <2015.12.14>
石碑
 台座には、明治19年から始まった長沼土地改良区の沿革と事業の概要が刻まれている。昭和61年9月に建立されたようだ。
 
 長沼村土功組合記念碑 <2015.12.14>
記念碑
 大正14年10月に建立された石碑も、酸性雨で融けたのかのか所々で解読不能な所がある。
   長沼村土功組合記念碑            正二位勲一等子爵清浦奎吾題額
農耕ノ開發ハ灌漑ノ便ニ依ル灌漑ノ便ハ水利土功ノ完成ニ埃ツ夕張郡長沼村ハ其ノ地勢夕張川千歳川ニ依ツテ北
西南ヲ圍繞セラン一望平遠ノ廣野ニシテ土地肥沃農耕米作ニ適スル●春夏川奉篩ニ●河水氾濫シテ被害多キヲ●
テ灌漑用水溝開鑿ノ企圖ヲナシ爾来本年六月完成ヲ告グルニ至ルマニ其ノ間實ニ三十有余年ノ長キニ亘タリ今本
土功組合事業ノ沿革ニ繹ヌルニ概要左ニ記シ
明治三十一二年ノ頃村民相謀リ用水期成會ヲ起シ村事業トシテ經營セントスル企テアリシガ久シカラズシテ中絶
シ其ノ後北海道土功組合法ニ基キ明治三十六年土功組合ヲ設置シタレトモ資金ノ調達ニ停頓ヲ来シ明治四十年一
時解散ノ止ムナキニ至レリ是ヨリ更ニ計劃ヲ新ニシ明治四十年創立総會ヲ開キ水源及灌漑反別四●ヲ定メ長沼村土功
組合成立シ同時ニ空知支廳長ヲ組合長ニ指定セラレ斯タニ本組合ハ事業ノ設計調査ヲ道廳技師川村泰治氏ニ嘱託
シタリシカ其ノ後數次組合長ノ更迭●●進行意ノ如クナラス支廳長稲見貞蔵氏就職スルニ及ビ設計調査ノ結マリ
共ニ日本勸業銀行ニ交渉ヲ重ネ資金拾四萬余圓ノ調達ヲ得基礎漸ク確立シ明治四十三年起工翌年竣工●志●●●
達成シタリ然ルニ同年夏期出水ノ為水路及ビ水門ニ多大ノ破損ヲ来シタルコト以テ資金三萬圓ヲ借入シ復●工事ヲ施
シ以テ水路ヲ完成セリ誠テ大正四年更ニ夕張川ノ水利權ヲ得大正五年組合地域ヲ擴張シ五萬余圓ノ資金ヲ●●●●
事ヲ起シ大正七年全部完成ヲ告ゲタリ 錐當初資金充分ナラズ永久的工事ニ施工スル能ハス●●拾●●●●●●
有余年作工物ノ命脈盡キ府朽頼●ヲ來々シタルヲ以テ●ニ改修工事ノ施工ヲ企テ組合長田●●氏ノ●●●●●●
工費弐拾六萬余圓ノ資金ヲ得大正十一年二●起シ大正十四年十月全工事ノ完成ヲ見ル工事ノ完成ヲ見ルニ至
顧フニ此ノ土功劃画ヲ起シテヨ●前後三十余年組合設置ヨリ正ニ拾有九年其ノ間幾多ノ蹉跌ノ困難ニ遭遇セルモ
百折撓マス堅忍持久以テ素志ヲ貫徹センハ當局者組合員併ニ村民ヲ多●●●セルヲ得ズ會ヤ組合●●●●●●
灌漑反別二千七百余町歩ニ及ビ荒蕪ノ原野一變シニ墾田ト為●産米年額約五萬石換算シ組合●資力無●●●
ヲ以テ将来ノ發展蓋刮目シテ●ル●八年●●●ヲ信久不チ知山水利土功成リニ灌漑●便ヲ●●●灌漑ノ便アリテ農耕
ノ利会加フルヲ茲ニ記念碑ヲ建テ功績ヲ後昆ニ傳ヘントス由テ某ノ顔末ニ記シテ石工●●●●●●
   大正十四年十月               北海道道廳長官 従四位勳三等 立  嘉三 撰文
                             金華士黄金山神社司    待遇佐佐木 ●永書●●
                                                   宮●● 石巻     石工 ●三
 墾田頌 <2015.12.14>
石碑 碑陰
 南長沼土地改良区開基五十周年の1972(S47)年9月に建立されたようだ。碑陰には建碑由来が刻まれている。
 建碑由来
長沼南部地区に入植した中野軍助氏は遠く明治二十三年配田内川よ
り引水して親二代の収穫を捧げた。これが長沼町水稲耕作の●●と
なり●●沢水を利用する造田張出したのに鑑み当時の先覚者高木楊
次郎長ら有志は千歳川沿岸一帯の系統的水利を企画し用水路開墾の
意見書を提出道庁の調査を仰いだが機熟せず越えて四十五年千歳川
に水利権を求めて早速造田化の建設案を村議会に提出村当局は予算
を計上して調査にあたったが折悪く全道稀有の凶作に遭遇しこの
議は一預控の形となったが遠年地力の減耗は畑作収量の漸尖となり
畑作物の価格暴落に反し一般物価の騰貴著しく農家経済を圧迫し堅
実なる農業組織の根本的確立の必要通り大正九年組合設立期成会の
組織となり牧野善之助外三氏が発起人となり道庁に調査設計を奉嘱
するなど日夜努力の結果大正十一年十二月十三日地積を二千八百へ
クタールとする南長沼土功組合が創建された。
 基幹工事は実施計画に時を費やし大正十四年着工途中幾多の困難を
克服して昭和三年完了したが初通水の結果田区への到達水量は甚だ
少なくまた耕土軽装にして予想外に多くの水量を必要としこれによ
つてかんがい出来た水田は僅か八百ヘクタールに過ぎず直ちに計画
変更を行い地積を大幅に縮少する一方揚機場を新設して多量の水
を追加補給し昭和五年千八百ヘクタールにかんがいする事が出来た
かんがい初期においてこのような水不足の荊練を背負った組合はこ
れらの苦境にめげず昭和二十五年八月十七日南長沼土地改良区に組
織変更して今日に至っているがこの間半世紀組合員は不撓不屈よく
一致団結かんがい機構の合理的再建に励み地区の拡克や干拓開発を
行う傍、千歳川治水事業の促進に協力し今日だは地積四千三百ヘク
タールに躍進 将来憂のない事業の完成に到達組合員多年の願望は
こゝに虚就するに至った。顧うに南長沼土功組合設立以来満五十年
土地改良区に改組してより二十二年を朗し幾多の困難に遭遇せしも
至誠一貫もって本道米作の中心地帯を形成した功績は洵に偉大なも
のあり、茲に創立五十周年記念式典を迎えるにあたりこれら先輩諸
氏並びに組合員役職員の献身的努力を讃えると供に事業の再建推進
に指導尽力を賜った官公庁諸団体の諸賢に対し深甚なる感謝の意
を捧げるためこゝに記念碑を建立してこれを後昆に伝うるものとす
       昭和四十七年九月
                南長沼土地改良区理事長 宮地三七郎
長沼神社境内 周辺地図
 句碑 <2015.12.14>
句碑
 石碑には「初霜に/朝の/空●●/さわやかに」と刻まれている。碑陰には「不暁(日を手偏に) 三輪正雄の略歴が刻まれている。昭和32年6月建立にようだ。
 
 水霊之碑 <2015.12.14>
句碑
 水霊之碑と刻まれた石碑があり、碑陰には1960(S52)年7月2日建立、長沼町水まつり奉賛会の文字がかろうじて読み取れる。
 故保原元二之碑 <2015.12.14>
句碑
 故保原元二之碑と刻まれた石碑があり、碑陰には1960(S52)年7月2日建立、長沼町水まつり奉賛会の文字がかろうじて読み取れる。水霊之碑と共に建立されたようだ。
 忠魂碑 <2015.12.14>
 忠魂碑の碑文には「忠魂碑/陸軍中将正四位勲一等功二級上田有澤謹書」と刻まれている。台座の一段目をよく見ると兵隊さんの人形がこちらを見ていた。
石碑 兵隊の人形 碑陰
 碑陰には「紀元二千六百年(昭和15(1940)年)記念 長沼村忠魂碑建設會」と刻まれ、台座には金属板が嵌められている。それに依ると2005(H17)年8月に修復されたようだ。その時に、2055年8月15日に開けるタイムカプセルを埋めたようだ。
 鎮魂碑 <2015.12.14>
石碑
 鎮魂碑の裏表には335余名の戦没者の名前が刻まれている。終戦から32年目の1977(S52)年8月15日に建立されたようだ。改めて、亡くなられた方々に平和な日本があることを告げて、感謝のお祈りをました。
 ながぬまコミュニティ公園 <2010.8.4> 周辺地図
 ながぬまコミュニティ公園の入口から少し入ると、鉄橋が見えてくる。公園の橋にしては不釣合いなので、近づいてみたら、解説板があり目を通すと旧舞鶴橋とのことだった。舞鶴橋は長沼町と恵庭市の境を流れる千歳川に架かっているが、その前に架けられた橋を公園に移設したようだ。左の親柱には「昭和12年3月竣工」、右には「舞鶴橋」と浮き彫りされた年代を感じさせる金属プレートが埋め込まれている。反対側の親柱の金属プレートは比較的新らしそうだった。
旧舞鶴橋の解説 旧舞鶴橋 竣工日の親柱 名前の親柱
 次に、名前の無い貯水池の辺を辿って行くと、旧舞鶴橋が池に架かっているのが見えて来る。名前の無いのは可愛そうなので舞鶴池とでも呼んでおこう。
                     ←大
貯水池
 再び、振返ると旧舞鶴橋が横から良く見えていた。奥の散策路の入口には案内図があり、目を通すと富士戸川沿いに散策路が延びている。最初は左岸沿い、帰りは右岸沿いの道を辿ってみた。
 帰りに、明治末期に市内に建てられた土蔵の傍を通る。
旧舞鶴橋 散策路案内図 富士戸川 土蔵
 開拓二十年記念碑 <2010.8.4> 周辺地図
開拓記念碑
 長沼から由仁へと道道1008号線を移動していると、道端に開拓二十周年記念碑が建っていた。建立された年代はわからないが、かなり古いものと思われる。長沼町は、明治20年に開拓が始まったようなので、明治四十年に建立されたと言うことだろうか。

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