増毛市街         オロロンライン=
   津軽藩増毛勤番陣屋跡 国希酒造 旧商家丸一本間

 アクセス
 国道231号線(オロロンライン)を北上し増毛市街に入り、交差点を曲がらずに真っ直ぐ道道301号線を進む。
 国土地理院の地形図 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 市内を適当に回っていると「津軽藩増毛勤番越年陣屋跡」の棒杭と解説板が立っていた。津軽藩が斜里はまだしも、樺太まで警備していたとは驚きだった。
 次に、旧型の赤いポストが目立つ国希酒造の建物が現れる。駐車場側には伏流水なのか井戸から水を汲んでいる人達がいる。中に入ると結構広く、酒造りの見学もできる。国希酒造を後にすると、軟石で造られた立派な建物が現れる。近づいて見ると、旧商家丸一本間」だった。
津軽藩陣屋跡 国希酒造西側 国希酒造東側 旧商家丸一本間
      津軽藩増毛勤番越年陣屋 跡

 文化4年(1807年)時の幕府は、仙台・会津・南部・秋田・庄
内の各藩にエゾ地警備と出兵を命じている。
 津軽藩は、宗谷・斜里・樺太の守備を命ずられ同年より交代出兵となった。
しかし、北エゾ地及び宗谷の気象条件が厳しく、特に冬期間の寒気により相当
数の死者を出している。このため、津軽藩は幕府に対し善処方を願い出、幕
府は指令を下した。
 「ソウヤ場所之儀は格別辺境にて風土宜しからず寒気凌ぎ方難に付き北
蝦夷地詰人数は海上旬季見計ひ先づソウヤ迄引免げ異国船渡来無之旬季を考
ソウヤ詰人共一同取寄宜しき処へ引取越年致候様仕仰附候に付同年より
マシケへ越年所取建候仰付越年仕候」
 この指令により、文化6年以降宗谷の越年を増毛の地に変更し、勤番陣屋を
築造している。当時の宗谷・樺太詰め人数は200人〜300人であったこと
から相当の越年陣屋であろう。
 この地にあった「津軽藩越年陣屋」は増毛に建てられた最初の陣屋であ
る(後に安政3年、秋田藩元陣屋が建てられている)。

 津軽藩増毛勤番越冬陣屋図式(総敷坪壱千七百拾七坪)
 □見取り図省略・・・
 ○に一の屋号の付いた暖簾が映える、石造りの建物を振り返る。
           ←大
旧商家丸一本間

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 二人の散歩路記録
 2009.8.25(火) 曇り