江東区の風景
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深川公園 周辺地図
 明治卅七八年役戰死者忠魂碑 <2018.5.8>
石碑
 碑文には「明治卅七八年役戰死者忠魂碑/正四位勲三等男爵澁澤榮一謹書」と刻まれている。年代から日露戦争で亡くなられた方々の忠魂碑にようだ。碑陰は解読できなかった。
 
 追悼征清戰死者之碑 <2018.5.8>
石碑
 碑文には「追悼征清戰死者之碑」と刻まれ、碑陰には、「年月日、場所、位を冠した10名のご芳名/明治29年11月深川區有志者建之」と刻まれているところから、日清戦争で戦死された方々を追悼しているようだ。
 
 石造燈明台 <2018.5.8>
解説板 燈明台
 公園の一角に、江東区指定文化財(建物)の解説板があり、改めて燈明台見上げる。
 
 富岡八幡宮別当永代寺跡の碑 <2018.5.8>
石碑 復元図
 石碑だけがぽつんと立っている。近くにあった深川公園の復元図を見ると、お寺らしい建物が描かれている。
 
 園女歌仙櫻之碑 <2018.5.8>
石碑 碑陰
 碑陰には達筆で刻まれているが、私にはほとんど読めない。
 
富岡八幡宮
 伊能忠敬銅像 <2018.5.8>
銅像 解説板 タイムカプセル
 永代通りに面する大鳥居の左側に鎮座している。伊納測量200年記念に平成13(2001)年10月に建立された。
 
 三角点「富岡八幡宮」 <2018.5.8>
モニュメント プレート 三角点
 伊納銅像と同時期に測量法の改正(世界地測系)を記念して設置されたようだ。
 
 天皇皇后両陛下行幸啓記念碑 <2018.5.8>
記念碑
 碑文には「天皇皇后両陛下/行幸啓記念碑/富岡八幡宮●●富岡長子謹書」と刻まれている。埋められた文字は宮司と読み取れる。この二文字のために、3人の命が消えてしまったようだ。碑陰には2012(H24)年8月12日の行啓を記念して2016(H28)年4月26日に建立された旨が刻まれている。
 
 天皇陛下歌碑 <2018.5.8>
歌碑
 碑文には「天皇陛下御製/身はいかになるともいくさとどめけり/ただたふれゆく民をおもひて/元侍従次長鈴木一謹書」と刻まれている。碑陰には「天皇陛下在位60年奉祝記念/・東京大空襲の惨状・・/昭和61年10月26日」と刻まれている。
 
 力士関係の石碑 <2018.5.8>
 大関力士碑の碑陰には歴代の大関の名前が刻まれている。最後は琴欧州勝紀。釈迦獄等身碑や巨人力士身長碑も鎮座している。
大関力士碑 釈迦獄等身碑 解説板 巨人力士身長碑
 強豪関脇力士碑もある。横綱力士碑の碑文には「明治28(1895)年3月吉日/横綱力士碑/大宰府 宮小路康文書」と刻まれている。右側には陣幕久五郎の姿が彫られている。
強豪関脇力士碑 横綱力士碑 碑文 陣幕久五郎
 横綱力士碑は解説板によると、明治33(1900)年の建立されたと記されている。超五十連勝力士碑には63連勝谷風梶之助の名前も刻まれている。出羽海一門友愛碑も鎮座していた。
解説板 超五十連勝力士碑 出羽海友愛碑
 
 木場木遣の歌碑 <2018.5.8>
石碑 碑文 副碑
 石碑には大木遣りの風景と掛け声が、副碑にはその由来が刻まれていた。
 
 木場の角乗の碑 <2018.5.8>
石碑 副碑
 石碑には「東京都無形文化財/木場の角乗/木場角乘保存會/理学博士本田正次書」と刻まれている。大木遣りの風景と掛け声が、副碑にはその由来が刻まれていた。
 
 大橋清太郎句碑 <2018.5.8>
句碑
 碑文は「杣男/辰己なる/鎮めの神の/破魔矢/かな」と刻まれている。碑陰には「杣男 大橋清太郎/明治拾五年品川に生まれる/虚子門下ホトトギス同人/昭和四十一年四月三日/秉燭会・きらら会建之/代表富岡光江」と刻まれている。
 
 石碑 <2018.5.8>
石碑
 碑文は「徳六/一番門/大●」と刻まれているようだ。
 
 森羅亭万象の歌碑 <2018.5.8>
歌碑
 碑文は「森羅/ふしの嶺●/●●/世に●●●●/●●●●の/笠着てくらす/●●●●/●●●」と刻まれているようだ。碑陰には「天保四癸巳年春三月」と刻まれている。月から下は土に埋まってしまっている。
 
 針塚 <2018.5.8>
針塚
 碑陰には「平成29(2017)年10月吉日/飯島石材株式会社」と刻まれている。
 
 雪中庵完来句碑 <2018.5.8>
句碑
 碑文は「完来/花のやよひ/一日はな乃/なくもかな」と刻まれているようだ。
 
 平花庵雨什句碑 <2018.5.8>
句碑
 碑文は「月雪華の/眺がめながめは/奥深し/ほとと来すに●/富賀岡/平花庵」と刻まれているようだ。
 
 陸軍中尉の碑 <2018.5.8>
句碑
 碑文は「陸軍中尉・・」と刻まれているようだが、独特の字体なので読めない。
 
 永昌五社稲荷神社の鳥居群 <2018.5.8>
鳥居群
 永昌五社稲荷神社の前に赤い鳥居群があり、外国人に人気があるようだ。
 
 力石・力持碑 <2018.5.8>
力石・副碑・石碑 力持碑 力石
 力持碑には「東京都無形文化財/力持碑/山崎種二謹書」と刻まれている。碑陰には由来が刻まれている。
 力石の碑文には、「雑司ヶ谷鬼子母神祠にあったものを昭和31年8月に移設された」旨が刻まれている。
 
 復興記念碑 <2018.5.8>
記念碑
 碑陰を見ると、大正12年9月1日の関東大震災からの復興だった。その後、東京大空襲で大半が焼失することになる。
 
 富士塚 <2018.5.8>
富士塚 石碑
 富士浅間神社の裏には富士塚がある。直ぐ隣の石碑は上半分が欠けている。碑文には「吉岡町忠兵衛/佐賀町清六/同喜八/建立   大先達石關正利/同勝五郎/西町幾八/堀江武兵衛/松一碓(石が右)」と刻まれている。大先達の達は一本線が少なく幸になっている。碑陰には氏名が並んでいた。
 その隣にある石碑の碑文は「登山再建立手傳」と刻まれ、碑陰には「文政五(1822)年/任午五月吉日」と世話人の氏名が刻まれている。
 

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