川口遺跡(標高5m)  =オロロンライン=

 アクセス
 天塩町で道道106号線に入ると、左手に駐車場があり案内板がある。入口は南口と北口があるが、北口は分かり難い。
 国土地理院の地形図 周辺地図 GPSトラックは「山の地図帖2009.8.25」へ
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 駐車場の柵の所に、解説板がある。この解説板は柵のポールが邪魔で読みにくいが、何とか斜め読みをする。次に、「川口遺跡風景林案内図」があり、見ると遊歩道があるようだ。中に入って見ると背の低いカシワの林の中に遊歩道が延びていた。直ぐに分岐になり、真っ直ぐ行けば55mで天塩川、遺跡は右に25mのの標識が出て来る。遺跡に方に歩き出すと、直ぐに、大きな看板が現れ、その傍に竪穴住居が見えた。先に、看板を見上げて斜め読みする。
解説板 案内図 分岐 遺跡傍の看板
   川 口 遺 跡
立地上の特徴として天塩川と併行して南
北に細長くのびる砂丘上に立地し西側は
天塩川河口部に接し縁部崖状の急斜面を
成している。昭和39年から40年にかけ東京
大学岡田教授北海道大学大場教授による
確認が行われた。さらに昭和53年から56年
にわたり筑波大学増田、加藤両教授及び前
田助教授によって遺跡確認の踏査がなさ
れた結果当川口基線地区に於ける遺跡群
は230基分布していることが判明した形状
別では方形(台形五角形不整方形を含む)(正
方形に近いもの)が最も多く186基、次いで楕
円形23基、長方形20基、不整形1基となって
いる。さらにオホーツク文化の竪穴も含ま
れている方形の最大住居址は11m×9mで、
最小は2m×2mのものもある。

年代特徴としては
@方形状の竪穴群は縄文文化期(8世紀の
 終わりから中世)の所産として考えられる。
A方形の内細長型は縄文文化の終末期か
 らその直後(近世)のものと見られる。
B円形状のものは続縄文期(3・4世紀から
 8世紀)に属するものと考えられる。
C現在でも続縄文同期中心の土石器類が
 散在している。
Dその1部は復元され郷土資料室に保管
 されている。
川 口 遺 跡
1.位置
この遺跡は北海道天塩郡天塩町
字川口基線1号から3号あたりまで
広がるものである。天塩町市街の
北西方1.5kmの地点にあって、
幅200m、長さ1.5kmに竪穴住
居跡が230基以上郡在している。


2.地形
この遺跡は、天塩川の左岸に発達
した河岸段丘上、標高5〜8mに
存在している。段丘は河川に沿っ
て南北に延びている。
遺跡の西側は、天塩川で幅300m
を有し、この川をへだてて100m
の砂丘そして日本海に連なって
いる。東側は天塩川の蛇行の跡で、
すぐに内陸海岸性段丘へ連なっ
ている。
3.地層
段丘の地層は、次のようであった。
層 位 深 度     土 壌
第T層 0〜10〜15cm 黒色腐植砂土
第U層 10〜20〜25cm 黒色砂土
第V層 20〜25cm    褐色砂土
竪穴の内部では、第V層褐色砂土の
中に約10cmの有機炭化物の堆積
層があって、床面をなしている。

4.現状
この遺跡のある段丘は、砂防防風林
の役目を果たしており、国有林として
保護されているので原始林のようで
ある。植生は、ミヤコザサが若干の雑草
と共に地草をなし、カシの喬木が群生
している。

           天塩町
 竪穴住居の前には、復元の方法が書かれた看板がある。看板の内容をろくに理解せず、取り合えず中に入ってみる。中には赤い火が点っていると思ったら、炉辺の火を模した赤い電球の光が揺れ動いていた。上を見ると骨組みの丸太をしめ縄で縛っているのが見えた。
竪穴住居 復元の方法が 炉辺 骨組み
              竪穴住居の復元
 昭和(39〜40)(53〜56)年の2期に渡り、遺跡確認の踏査がなされ、川口基線地区
に於ける遺跡群は230基分布していることが判明しています。
ここに復元された住居は遺跡群の中でも最も多い方形状のものを復元したもので、
時代は、縄文文化期(8世紀の終わりから〜中世)の所産として考えられています。
この竪穴住居復元は構造上一部材質等は既材を用いて復元しています。
又、本地域の発掘調査結果の、土石器類等は郷土資料館室に保管されています。

 住居寸法 使 用 材 料
 地 上 3.5m 
 間 口 6.5m 
 奥 行 6.5m 
 深 さ  1.0m 
 床面積 33u
 
木 材 300Φ  3m   4本 カ ヤ     30厚 180把 
     100Φ 3.6m  12本 ブドウつる 1巻3m  3巻 
      50Φ 3.6m  80本 しめ縄   1巻10m 55巻 
      20Φ 3.6m 105本 
    300Φ/2 1.5m  65本 
 ※Φは直径
 戻って、天塩川を見に行き、海岸のように広い川辺に辿り着くと、上流に利尻富士が見えていた。川なのに海風を感じながら、縄文の人達はこの風景を見て生活していたのかと思う。帰りがけ、道端の砂の中からしじみの貝殻が覗いていた。「北のしじみの森」の道標もあるので、道場に従いカシワの林の中を辿って行く。余り人が入っていないようで、時折、蔓が足に絡まる。林を抜けると、民家も見える広場になる。広場には幼木を植えていると思われる木の囲いが整然と並んでいた。
天塩川と利尻 北のしじみの森 カシワの林 森を造成中
 天塩川に目を転じると、ここでも利尻富士が見えていた。戻って、愛棒と別れ、竪穴住居前を通過し、北口を目指す。道端から所々に窪みが確認できるが、明らかに住居跡と思われる所には看板が立てられていた。遊歩道の中に、「新四国霊場まで160m 札所19〜23番」の看板の立つ分岐があるが、霊場には立ち寄らず、先に進む。道は川辺に近づき、ベンチや大きな看板の立つ広い広場に出る。
天塩川と利尻 竪穴住居跡 新四国霊場分岐 広場
 エゾカワラナデシコの花が揺れる広場からも、天塩川越しに利尻富士が見えていた。広場を過ぎると北口の道標と非常口の道標が現れる。非常口はどういうときに使うのかなと思いながら北口に向かう。一寸、林の木が大きくなったような気がして来ると、長方形の遺跡跡があり、中に入れるように梯子が付いていた。
エゾカワラナデシコ 天塩川と利尻 北口と非常口 長方形の遺跡
 次に、竪穴住居が出てきたので、中を覗いて見るが、先ほどの住居よりも凝っていないようだ。住居の前には消火施設が完備されていた。竪穴住居から直ぐ北口になり、待っているはずの愛棒を探すが居ない。
竪穴住居 中を覗く 竪穴住居 北口
 仕方が無く、舗装道路に出ると、非常口の出口あたりの道端に停まっていた。

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 二人の散歩路記録
 2009.8.25(火) 晴れ 13:58南口→14:17北口