河口湖(標高831m 5.7k㎡)西湖(標高900m 2.1k㎡)

 アクセス
 湖の南側に延びる国道139号線(富士パノラマライン)、北側に延びる県道21号線を走る。
 周辺地図
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 河口湖
 道の駅かつやまに着くと、河口湖が一望される。
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河口湖
 河畔は芝生の広い小海公園になっていた。なんで、こんなに平らで広いのだろうと思っていると、公園の一角に水田発祥の地という石碑が立っている。昭和29年から昭和46年にかけて稲作をしていたようだ。その跡地が公園なのだろうか。右に見える山は毛無山、左は足和田山のようだ。
 小海からカチカチ山のロープウェイに乗り、山頂駅から見下ろすと藤の木鼻と産屋(うぶや)ケ崎を結ぶ河口湖大橋が河口湖を横切っていた。丸い「うの島」も浮いていた。「うの島」には弁天さんが祭られていて、美人が乗った舟は沈められるらしい。ロープウェイから下りて小曲岬辺りの桟橋からスワンボートに乗る。
小海公園 水田発祥の地 ロープウェイ山頂から 小曲岬辺り
 西湖
 西湖の回りを走っていたら、駐車場があり、富士山が雲の中から出てきた。駐車場に車を停めて、湖畔に下る。富士山を見ながら水面に向かって小石を投げ、水切りの回数を競う。湖畔では釣り人なのか漁師なのか分からないが、プラスチックコンテナから魚を移していた。
 駐車場に戻る途中、歌碑が佇んでいた。墓のような作りなので、階段を上がることはせずに、遠くから碑文を読む。傍には、普通の歌碑が富士山をバックに佇んでいた。内容は、台風による山津波の悲劇が書かれていた。
西湖の駐車場 西湖と富士山 歌碑 歌碑の由緒書き
  ああ西湖よ
        作詩 広里多美
        作曲 館岡一郎
一、いつの日も父といつの日も母と
 暖かくながめたみずうみ
 哀れ秋の日平和は破れ
 あヽあヽ西湖よ悲しい湖
 西湖西湖よ夕焼の空
 涙に映えて父も母も今は亡き
二、いつの日も兄といつの日も姉と
 よろこびを包んだ山々
 哀れ秋の日はげしい嵐に
 あヽあヽ西湖よ悲しい湖
 西湖西湖よ尊い生命
 湖底に深く兄も姉も今は亡き
      厚生大臣
      内田常雄書
 歌碑
 あヽ西湖よ
    由 緒
 昭和四十一年九月二十五日台風二十六号
 山津波により西湖根場両部落の尊い犠牲
 者九十四名中未だこの美しい湖に流出された
 まヽ行方不明者十三名のみたまを偲びて哀悼
 の あヽ西湖よ を万感胸せまる想いで作詩し
 謹しみてその霊を永久に慰め二度と現世に
 惨事のないよう村民並びに寄贈者諸氏の善
 意と協力を以て建立せり人命尊重と平
 和を祈願する歌碑であります
  昭和四十七年七月
          建立者 廣里多美

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 2008.9.27(土)  晴れ