藤大仏(標高120m)

 アクセス
 帯広市富士の道道62号線と道道240号線の交差点に「東富士町内会館」があり、その南側にある(19号と20号、西2線と西1線の区画内、オケネ川と第二売買川の間)。
 国土地理院の地形図  周辺地図
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 十勝平野の一角に、開拓時代に引き込まれそうになるスポットがある。それは、平地にしては少し小高い林の中にあった。開拓前には、札幌もそうだが、氷河が去った跡に残るモレーン地形の様に、緩やかな起伏も生きている。手入れの行き届いた藤大佛の境内に入り、ゆっくりと石畳を上がって行くと、大佛さんが鎮座していた。
 戻って、入口付近を改めて見回すと、昔地図の描かれた看板がある。どうやら、昭和12年頃の藤駅周辺の地図のようだ。南北に十勝鉄道(川西〜戸蔦)が、西に八千代線(上美生まで)が分岐している。
藤大佛の境内 石畳 藤大佛 昔地図
 大仏の西側にも石畳が延びていたので、辿ってみたら、「藤開拓発祥の地碑」があった。開拓記を見ると、売買(うりかい)村の中かから富士が生まれたようだ。
 その傍には、文芸季刊誌なのか凍原に載せた詩が開かれていた。
石畳 藤開拓発祥の地の碑 開拓記 凍原の抜粋
  開 拓 記

明治三十六年売買村上売買の地三二〇町歩の無償貸付
出願の許可が出 藤本長藏自ら開拓事業に入った
が不況と虫害のため続かず 土地を一たん返上 四十四年
改めて許可を得 本格的に開拓事業の着く 農牧場経営を兄の
孫右衛門にゆだね小作三十余戸を入れて拓成した 木立を売って
資金を作り木柵をめぐらし十年間年貢なしを条件とした水田の造成に
失敗もしたが結局は開墾に成功 大正九年無償付与を受けた その昔富士開
拓に協力し最後まで頑張り続けた人々の労を多とし爰にその名前を後世に遺す


          昭和五十年十月吉日
            藤大佛保存会
               善雄作
 山と町をつなぐ
 小さな無蓋車の上で
 独り空を仰いでゐる
 ときに見る夏雲
 果てなくつづく午後
 の平原それを取
 圍む山脈の上に限りなく
 湧き上って青空に
 くっきりと浮き出て
 いる夏雲
 美しかった
 凍原昭和二十一年九月一日号
               より抜粋

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 2008年7月9日(水) 晴れ