江別散歩 泉の沼公園 石狩川汽船 水道発祥の地 開村記念碑 弾薬庫(神社山) 飛鳥山 |
泉の沼公園<2010.11.17> 国土地理院地図 周辺地図 |
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なんとか、北口に着いて、案内板を見ると、南側の駐車場があるようなので、南口に向う。 レンガ造り風のトイレに寄ろうと思ったら、もう、閉鎖されていた。次に四阿が見えて来たので、近づいて見たら、水は流れていないが、せせらぎと呼ばれる小川風の遊び場がある。 |
北口に続く橋を渡って見ると、カモがいた。沼の西側と東側を見ると、弓形になっていて千歳川の河跡沼だと分かる。 |
トイレ | 四阿 | 沼の西側 | 沼の東側 |
石狩川汽船<2010.11.17> 国土地理院地図 周辺地図 |
江別の駅前通りを東に辿ると、千歳川にぶつかと、川の辺に史跡「石狩川汽船 江別の水運と倉庫群」の棒杭が立っていた。傍には、赤レンガの倉庫が二棟建っているが、外から見るだけのようだ。こちらの岸辺に江別橋の痕跡を探るが、改修された岸辺が続いているのみだった。 |
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対岸に目を転じれば、江別河川防災ステーションが見えていた。大川通りに繋がっていた江別橋の痕跡はと探すと、ステーションの左側にそれらしい盛土の部分があるが。 |
水道発祥の地<2010.11.17> 国土地理院地図 周辺地図 |
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江別市水道庁舎前には、井戸の形をした石碑状のものがあり、近づいて見ると水道発祥之地碑だった。 上を見ると蛇口が二つ付いていた。どうやら、水飲み場のようで、洒落た石碑だと思った。昭和56年の水道庁舎を建設したときに同時に建てられたようだが、由緒書はない。 |
開村記念碑<2010.11.17> 国土地理院地図 周辺地図 |
水道庁舎に何で裸婦像かと思いながら奥を覗くと、石碑が鎮座している。近づいてみたら開村記念碑だった。 |
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碑文は難解で「北海道廳長官従四位勲三等澤田牛麿題額 北海道帝國大學總長正三位勲一等農學博士佐藤昌介撰 江別町左石狩國札幌郡距幌部東六里面積十二平方里地勢東平野西望●●●●●・・・・・ 昭和三年●●」と彫られているようだ。 |
神社山(19.4m 萩ケ丘) |
火薬庫のある山は萩ケ丘、または、神社山と呼ばれ、古砂丘だったと云われている。このピークには三角点江別が設置されている。 |
火薬庫<2010.11.17> 国土地理院地図 周辺地図 |
江別小学校の前に赤レンガの建物が建っている。傍には、説明板には江別市指定文化財第二号火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)と書かれている。説明板が立っていなかったら、ただの赤レンガの建物に見える。その上には、台座に勤●刀行と彫られた二宮尊徳像が道行く生徒を見守っているようだ。 |
火薬庫 | 説明板 | 火薬庫 | 二宮尊徳像 |
飛鳥山(17m) 国土地理院地図 周辺地図 |
飛鳥山は低山マニアの中では有名な山で、「地図に記載されている山で、日本で15番目、北海道で4番目、江別では一番高い山」となっているようだが、実際は神社山の方が高い。この山も古砂丘だったようだ。ピーク付近には江測協の三級基準点がある。 |
飛鳥山公園<2010.11.17> |
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駐車場に車を停め、高そうな所を目掛けて、辿って見ると、トイレの奥に石碑が見える。きっと、あそこが一番高い所だろうと思い芝生を登って行く。 山頂には解説板があり、内容を読むと歴史が良く分かる。看板の隣には、「史跡飛鳥山(旧競馬場)野幌丘陵に残る古砂丘」と書かれた棒杭が立っていた。 山頂には石碑や歌碑が建っていたので見て回ると、住宅の奥に白く煙がなびいている工場の煙突が見えた。 再び、山頂を目指すが、石畳の南側が正規の道のようだ。 |
石碑が | 解説板 | 工場の煙 | 山頂へ(大×) |
開村記念碑<2010.11.17> |
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飛鳥山の山頂には、台座に江別兵村と彫られた開村記念碑が鎮座している。 |
兵即農の碑<2010.11.17> |
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飛鳥山の山頂には、兵即農の碑が建っているが、碑文は昭和18年5月27日建立とあり、カタカナ交じりの難文だった。 |
殉役忠魂碑<2010.11.17> |
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山頂から少し外れてはいるが、一番展望の良い場所に殉役忠魂碑が建っていた。碑の横には軍国主義は当たり前だった昭和15年10月建立とある。 台座の片隅には江測協の三級基準点もある。 |
歌碑<2010.11.17> |
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「石狩の原に 一すじ雪のみち 晴れりや 馬橇の鈴が つづいた 音治一郎 ●●具晴夫書」としか読めないが、伊藤音次郎の歌碑らしい。 |
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二人の散歩路記録 2010.11.17 |