千葉の名所旧跡
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酒々井(sisui) パーキング  Google マップ
 <2025(R7)年3月23日>
 酒々井パーキング下りに立ち寄ると白い恋人と落花生ソフトクリームが売っていた。落花生のソフトクリームはご当地の味で珍味。南側に行くと、サクラの解説板があった。解説板には人間国宝第16代佐野藤右衛門さんの指導で新空港までの道沿いにサクラを植えたと記されている。2月にはカワズザクラ、3月はカンピサクラ、ソメイヨシノ、オオシマサクラ、ヤマザクラ、4月はサノザクラ、ヤエベニザクラ、5月はサトザクライチョウ、サトザクラカンザシとリレイして見られるように工夫された。桜の詳細な解説もされていた。
白い恋人 落花生ソフトクリーム サクラの解説板
 素人には目の前のサクラがどの種類なのか見分けが付かないが、奇麗に咲き誇っていた。その傍に井戸があり、「酒の井」伝説と書かれた看板が添えられていた。
サクラ 酒の井
 看板の内容は日本昔話のようだ。その奥にゲートの開いたトンネルがある。柵の看板を見ると10~16時に開放されているようだ。トンネルを抜け振り返ると井戸が真正面に見えていた。見晴らしのくつろぎデッキが目の前にあり、長いベンチと案内板「しすいさくらの郷」がある。池を挟んだ対岸には11種類のサクラが植えられているようだ。①ミヤマザクラ(5月上旬)、②オオヤマザクラ(4月中旬)、③ジュウガツザクラ(10月~4月上旬)、④ウコン(4月中旬)、⑤オオシマサクラ(3月下旬~4月中旬)、⑥タイザンフクン(4月中旬~下旬)、⑦カワズザクラ(3月中旬)、⑧チョウジザクラ(4月中旬)、⑨ガンビザクラ(3月中旬~4月上旬)、⑩ソメイヨシノ(4月上旬)、⑪ヤマザクラ(4月上旬)と解説されている。
解説板 トンネル入口 出口 案内板
 3月下旬の花期を探すと、左端の白い⑤オオシマサクラ、右側の赤味の強い⑨カンピサクラ(№9)が咲いていた。
           ←大
⑤ジュウガツザクラ    見晴らしのくつろぎデッキ    ⑨カンピサクラ
 
三船山<2025(R7)年3月1日> Google マップ
 石仏群
 三船山の遊歩道は墓場を一周する様に延びているので、墓地と外界を分ける結界のためなのだろうか。北側の入口(ミツバツツジの小径)には、「天下泰平/●●●光明真言●/國土安全」と刻まれた石碑と三体の石仏が浮彫されたレリーフがある。レリーフには「除霊明/●●」と刻まれている。
北側の入口 念正法師 南側の入口
 その傍には「日本廻國念正法師」と刻まれた石碑と石仏がある。

 南側の入口(ドングリの小径)にもレリーフの石仏1体が鎮座している。この石仏は稚児を抱き幼児を伴っているので子安地蔵なのだろう。台座にはお守りが置かれていた。
 陣跡
陣跡
 三舟山陣跡の棒杭と解説板が無ければ、ただの原っぱで陣跡とは気が付かない。
   三船山陣跡
 永禄十年(一五六七)北条氏は、西上総を支配すべく、
里見氏と三舟山付近を舞台に合戦を行ったといわれ、北条
氏側は北条氏政が合戦の指揮をとり、武蔵の国岩付城(埼
玉県岩槻市)の城主太田源五郎氏資らをこの地に向け現在
のマテバシイの林一帯の小字「陳場」、「陳所」の地に陣
をかまえ、里見氏側は三舟山に対峙する冨津氏障子谷の「
虚空蔵山」、同市相野谷の「八幡の森」に陣を敷いたとい
われている。
 合戦は北条氏が敗北し、元亀年間の終わりごろまで
里見氏が勢力挽回する契機となったといわれている。
   平成十四年三月
                       君津市
 
 三船山の合戦で無くなられた兵隊を葬った塚といわれている。塚に植えられた木は年月を過ぎて大木となっているようだ。

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 2025(R7)年3月23日(日) 2025(R7)年3月1日(土)